Vol.20 「子ども主体」に向けて

 授業は子どもから出発して子どもに帰っていかねばならないのに、子どもを忘れては授業は成立しない。
 子どもはとらえにくいけれども、その現在位置(現在の状態)をつかまねば、可能性を引き出すことも、変容をさせることもできないのである。

有田和正(1982),子どもの生きる社会科授業の創造 P105

 授業をする前に、教材について理解を深めたり、単元を構想したり、板書を計画したりします。その上で、授業中は「自分の考えを押し付けないこと」、「自分の想定通りに進めようとしないこと」を意識しています。これがなかなか難しいです。

 もちろん教師による方向転換が必要な場面もあります。うまくいかなくて悩んでいる子になにもしないといった放任ではありません。できる限り一人ひとりあれこれ試行錯誤しながら学んでいってほしいと思っています。そのときに、教師として子どもの考えの文脈に沿ったかかわり方ができたらいいなと思っています。

 今日が、国語科「想像力のスイッチを入れよう」の1時間目です。教材文と向き合う中で自分が大切にしたいことが出来上がってきました。だからこそ、押し付けないように、自分(教師)の枠におさめようとしないように、まずは子どもたちのありのままの感じ方を大切にしたいと思います。

 子どもをとらえる場合、「人は言語に重点をおきすぎるので、動作、姿勢、表情が自分を語っていることを忘れがちなのである。」ということに注目したい。
 わたしは、子どものことば(作文も含めて)に重点を置いて子どもをとらえようと努力してきた。しかし、子どもはことばより行動で多くのものを表現しているといえる。教師は、ことばだけから子どもを理解したがる傾向があるので、行動や表情からも理解を深める努力をしたいと思う。

有田和正(1982),子どもの生きる社会科授業の創造 P105

 有田和正先生の本をじっくり読んだのはこの本が初めてです。
 僕はまだまだ一人ひとりが表現してくれる言葉からしか見取れていません。自分の意識を様々なところに巡らせながら見取れるようになりたいです。じっくり聴くこと・みることを今日は意識してみます。

 また、意欲ある研究的な教師は、子どもたちから自分の研究目的に適合したものだけを取り出し(自分の都合のよいところだけを取り出し)、他の不都合なものは知らないふりをしている傾向がある。

有田和正(1982),子どもの生きる社会科授業の創造 P105

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