「45分」は「子どもたちの時間」第100回e-cala cafe

45分間という授業時間は子どもたちから預かっている時間
授業は子どもたちが主役だと考えると、授業時間は子どもたちの時間だと考えられます。
そう考えると、預かった時間を子どもたちにできる限り、返す必要があると思います。
私は、45分間の内、15分間を私の時間として使わせてもらうこととしています。
15分間の内訳は、
授業の導入時に5分間
授業の終末時に10分間
です。
授業の導入時の5分間は、前時の振り返りや本時の課題提示、問いの共有に当てます。
授業の終末時の10分間は、本時で学んだことを振り返る時間として設定し、基本的には、ノートにふり返りを書く時間に当てます。
残りの30分間は、子どもたちの時間として返します。
30分間は、グループでの学習を基本として、子どもたちの学びの様子を俯瞰して見取りながら、全体で共有する問いの吟味や各グループでの対話の内容に耳を傾けたり、ワールドカフェのタイミングを図ったりと、受動的能動性の立場に徹します。
もちろん、授業構想の段階で、子ども一人ひとりの振り返りを読みながら、本時がどのような展開になっていくか、それぞれのグループでどんな学びが引き起こるかを可能な限り想定します。
授業は段取り8割、実践2割と言われますが、私の場合、ほぼほぼ授業は子どもたちの預けますので、段取り9割、実践1割という方が合っているかもしれません。

めがね旦那氏は「授業の余白 学びの自由度を高める22の授業論」でも同じようなことを述べています。
「僕は授業を組み立てるときには、子どもたちのいかに多くの時間を「返す
か」ということを考えています。45分という時間は教師のものではありません。それは「子どもたちの時間」なのです。それを教師は「借りている」というのは僕の考えです。」
「子どもの時間は、大人よりも貴重なのです。その貴重な時間を「黙って座って書き写す」なんていう「苦行」に浪費していいはずがありません。」

さて、教師は、どうしても授業中、話す時間が多くなります。それは、なぜでしょう。
この時間内に教えなければならない
この時間内に理解させなければならない
この時間内に伝えなければならない
といった心理が強く働くからだと思います。
以前に一度、書きましたが、1時間レベルで考えるのではなく、単元レベルで授業を考えていくとよいのではないでしょうか。
初めて出会った問題、課題に対して、たったの45分間で理解すること・・・そんなことが果たしてできるでしょうか。
もちろん、45分間で理解できる程度の課題設定にされていることが多いのだと思うのですが、それは本当に理解しているのでしょうか。
算数であれば、45分間でやり方は分かった、問題を解くことができるようになったという姿はあるかもしれません。しかし、意味理解まで至っているのでしょうか。
単元レベルで授業を構成し、少しずつ意味を理解しながら、学んでいくことでより汎用性のある知識技能の習得につながっていくのだと思います。

教師のねばならないという思考が、子どもたちの時間を奪ってしまうのではないかと思います。

授業は子どもたちの時間…もう一度、考えてみませんか?

引用文献
授業の余白 学びの自由度を高める22の授業論 2023 めがね旦那 明治図書 

参考
note
単元レベルでの授業づくりが大切 第90回e-cala cafe
学校に蔓延る「must」…一度立ち止まってその意味を考えてみませんか?第79回e-cala cafe2

#教育 #授業 #子ども #小学校 #e -cala cafe

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