子どもをどう見るかが大切

令和になり、授業が変わりましたか?

私は、この質問に対して、授業が変わる変わらないということは、子どもをどう見ているかが大きなポイントだと思っています。

子どもを有能な学び手とみるか、何も分からない白紙の存在とみるか、この子どもの見方が大きく授業に影響すると思います。

子どもを有能な学び手としてみている教師は、授業を子どもに預け、学び合いや聴き合いの授業を行い、教師はファシリテーター的存在として教室に居ると思います。また、第三者として子どもたちの学びの様子を見ながら、「出」を探る存在として教室に居ると思います。

何も分からない白紙の存在としてみている教師は、黒板から離れることができず、講義型の授業を行い、ティーチャー的存在として教室に居ると思います。

教育環境デザイン研究所/CoREF 令和4年度活動報告書では、次のように述べています。

子どもが「わかった」と言ってくれれば、経験則のレベルと原理原則のレベルの両方をつなぐレベルの部分に色んな知識が入ってくる感じはしますけれども、子どもの気持ちになってみると「先生が教えてくれたことはそれなりにわかるけど、まあ、今度のテストまで覚えとけばよさそうね。私が普段やっていることとは結びつかないけど」となってしまいます。ここに「講義型授業に限界がある」と言えます。

先生の「わかりやすい」説明をきいて教科書のその部分をやっているときに一時的に覚えるということはできますけれど、単元が終わりになって別の話に移っていったら、あるいは別の授業に移っていったら、子どもたちはそのことを考えないという状況が起きます。

だから正解を納得して自分の使えるものにするためには、一人ひとりが今自分でそう考えているかというのを、時々は自分で言葉にしてみるということが必要です。

子どもたちにできるだけそのチャンスを多く作ってあげると、原理原則のレベルと経験則のレベルがつながります。

本人が自分でつないだわかり方というのは、自分のわかり方ですから、時々取り出してみて日常的なわかり方に適用してみるとか、テレビでその話がでてきたらそこから情報をもらって太らせる、というようなことをやっているうちに、少しずつ形を変えて長く残っていきます。そのうちに、そうやって本人が自分で使えるわかり方が、素朴な経験則に近かったものから徐々に学校で教えた原理原則の方に近いような形になっていきます。

結局、授業で起きてほしいことは「建設的相互作用を通して一人ひとりの児童生徒が自分の考えを深める」という活動です。

経験則と原理原則をつなぐために、お互いが自分の考えを外に出して確認しながら、一人ひとりが学び、考えを見直し、良くしていく。グループで学習しますと、グループ全体で答えをだせるようになればいいのではなくて、一人ひとりが学ぶんです。

そういう学習のことを、総称してCollaborative Learningと言います。素直に訳すと「協調学習」です。

授業の中で、子ども自身が自分で考えて、しかもそれを何度も言ってみる機会を作ることが必要になります。相手に「もう1回言ってみて」と言われると、少なくとも2回、言い直せるチャンスが生まれます。逆に言えば「もう1回言ってよ」とお願いするのは、相手にもう一回同じことを表現し直してもらうチャンスをあげているわけです。で、その話したり聞いたり、考えて黙ったり、考えてわかったことを言葉にしたり、という活動を中心にしていくと、一人ひとりの考えの適用範囲が広くなっていきます。この現象をCollaborative Learning(協調学習)と呼んだりするわけですけど、そのために、一人ひとり分かり方の違いが見えてくるような授業づくりが必要になります。

子どもたちが持っている力なんだ、誰でも状況が整えばそういうことができるんだ、という風に私たちが考えなおして、どうやって環境を作ればその力を明日の授業で使ってもらえるか?という観点から授業づくりを見直してみる、これが21世紀型スキルを育てる授業づくりの肝ではないかと考えます。」

子どもたちを有能な学び手とみて、考えを外化する機会を増やし、建設的相互作用を絶えず引き起こしていくことがこれから目指す授業なのではないかと考えています。
引用文献
教育環境デザイン研究所/CoREF 令和4年度活動報告書
https://ni-coref.or.jp/archives/11519

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