経験と省察をすることが大切

・子どもの声を聴くこと
・子どもの学びを見取ること
・子どもたちの学びの想定内を可能な限り広げること
・教育的瞬間を見逃さないこと
上記の力はどのようにして高めることができるのでしょう。
以前、大学の先生に、「スキル的技術は真似することはできるけど、アート的技術は真似することはできないのです」と言われたことがあります。

スキル的技術とは、授業の流し方や学習材、発問の仕方といった方法的な技術のことです。
アート的技術とは、先に述べたような技術のことです。
教師として、上記のようなアート的技術は、絶対に必要な技術だと考えています。
では、どうすれば、アート的技術を身につけ、その質を高めることができるのでしょうか。
それは、日々の授業で、常に意識し、実践し、省察する。これしかないと思っています。

石井順治氏は、「「学び合う学び」を生きる ”まなざし”と”内省的実践”がつくる授業」で次のように述べています。
「専門家が真の専門家になるには、自らの行為をふり返る持続的実践を怠ってはならない。自らが成した事実から目を逸らさず、そこから新しい自分を見つけ出す、そういう愚鈍とも言える実践によってのみ、教師は教師になれるからである。」
「どうすれば、“みえる”という専門性を少しでもつけることができるのだろうか。それは、ひと言で言えば、“経験”である。複雑で多様な事実に出会い、その事実と格闘し、子どもの学びと育ちに自らを賭ける“経験”を積むことである。それは、職人の技能や芸術家の表現の熟達と似ているかもしれない。」
また、
稲垣忠彦氏・佐藤学氏は「授業研究入門」で次のように述べています。
「教師の専門性の内実が「見える実践」ではなく、実践課程における反省的思考という「見えない実践」にあるとすれば、授業の研究は、発問や技術という見える対象の分析から省察や選択や判断という見えない対象の解明へと中心を移さなければならないだろう。教師が実践を通して形成し機能させている実践的知識や実践的見識が研究されなければならない。」
「授業者が何を授業の目的としてその教材を選び、それをどのように解釈し、授業案を構成したのか、授業の過程での、子どもの把握、子どもへの対応といった判断や決定はどのように行われたのか、授業のあとでの自分の反省は何であったのか、などが記され、研究会でそれらの検討が行われることが重要である。教師の力量とは、そのような理解、判断、決定の力であり、成長とはそのような力量の発展であり、実践者の内的過程の考察を含むことにより、専門的な力量の形成につながる実践の記録になるのである。」
「授業の面白さとはなにか。まず、授業でとりあげる教材について、何のためにこれを教えるのかとか、その意味を考える楽しさであり、教材をえらぶ楽しさ、教材をつくりだしていく楽しさである。多様な子どもたちが、その教材にそれぞれに出会い、追及し学んでいく姿をみる、そして、それをとおして一人ひとりの子どもの考え方や持ち味を発見し、あじわう楽しさである。さらに、教師として子どもの学びにどのようにかかわり、どのように援助していくかを考え実践する、そしてその実践をふりかえり、反省をとおして自分をかえていく楽しさであり、それは教えるもの自身の学びである成長である。」

引用参考文献
「学び合う学び」を生きる ”まなざし”と”内省的実践”がつくる授業 2022 石井順治 ぎょうせい
授業研究入門 1996 稲垣忠彦・佐藤学 岩波書店
ntoe スキルをまねしても… 村山豪
note 自分が変わることを心がけて 村山豪
note 教師の頑張りと子どもたちの成長は必ずしも比例しない 第80回e-cala cafe 村山豪
note 授業において教師が求められること

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