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漢文の海で釣りをして【第6回】馬は馬なれ、牛は牛なれ

「駑馬(どば)は精速(せいそく)と雖も、能く一人を致したるのみ。駑牛(どぎゅう)は一日に百里を行きたれど、豈に一人を致す所ならんか」
≪訳≫馬はどんなに足が速くてもひとりしか運ぶことができない。牛は足が遅いが何人も運ぶことができる
≪出典≫『世説新語』品藻篇

この『世説新語』というのは三國志の前後くらいの時代の様々な人物たちのエピソードを集めた大変面白い本です。
優秀な人物の思わず膝を打つような逸話から、トリッキーな人物の奇行と言っても過言ではないエピソードまで多種多様。
惜しむらくは現在、一般のひとが気楽に読めるような日本語の訳本が版元品切などでほとんどないということ。
講談社学術文庫やちくま学芸文庫に期待。

さてさて。
当時の知識人たちの間では人物評価がブームでした。
人物評価は何かに例えてされるパターンがあり、今回の一文はそのひとつです。
あるひと(陸績)を馬に例え、あるひと(顧邵)を牛に例えています。

(今回の訳ではシンプルにするために省きましたが、原文を見ると馬と牛にわざわざ駑(のろま)という言葉がついています。このあたりが当時の人物評価の面白いところですがそれはまた別の機会があれば
【原文】駑馬雖精速,能致一人耳。駑牛一日行百里,所致豈一人哉)

馬と牛にはそれぞれ得意な分野があり、力を発揮できる場面が違います。
スピードならば馬の方が優れていますし、パワーならば牛の方が勝っています。
馬が牛とパワーを競ったり、牛が馬のスピードに挑む必要はありません。

もし、人物評価を受けたならば自分は一体どちらに例えられるでしょう?
「馬」ならばスピードを活かせばよいですし、「牛」ならばパワーを使えばよいのです。

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