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ネオコロニアル表現としてのホラー映画

社会的な暴力や権力の偏りの問題をホラーの中で扱うことは、特に最近、ソーシャルスリラーという単語で言及されるようになった。しかしまあ、アジアやラテンアメリカなど、幽霊の大半が女性であるという社会ではその問題は怪談の中で雄弁に語られてきた。

或いは、そういう表現すら出てこない社会というのは、更に強い何かの規制が働いているのかもしれないね。インドより西の地域ではどうなんだろう。まだ知らないけど。

実際のところ、中川信夫監督『東海道四谷怪談』も権力の問題に関する読み方ができるし、アメリカのオカルトホラー、ロバートワイズ監督『たたり』も、介護疲れの独り身の女性が幽霊屋敷で学者のイケメンエロ男性に惚れてみたら、既婚者な上妻が現れたらあたしを邪険にしやがったッ!OK、この世とはおさらばだッ!幽霊さん、あたしを連れてっておくれッと心を決めた物語として読めば、やっぱり社会的な要素が読める。

他方で、恨みを晴らす系ホラーは、魔の存在がその社会的な問題を背負うほどに怖さは薄れ、悲しさとやりきれなさが生じ、怒りのアンチヒーロー誕生譚に変わってしまう、というのは、昨年の『キャンディマン』でも明らか。

個人の恨みから、社会で共有される恨みに昇華される。それを映画で見ると、そうやって晴らされるべき恨みもあるのだと知る一方で、これは私の入ってもいい物語ではないんだな、という気になる。私には圧倒的に被害者性当事者性が足りないことを思い出すのだ。皮肉ねー。アメリカのソーシャルスリラー映画は、それを表現しなきゃなんない段階なのだと思う。だけど、物語は誰かに独占された時点で経典に変わる。それって我々が更に豊かになることなのか、或いは修道院に入ることなのか、中世に逆戻りすることなのか…と今考えているところ。

さて、では、日本人という国民として世界を眺めた時、どこに集合的恨みを感じるべきか?と言えば、やっぱりアメリカなのだ。そして、ハリウッドが2000年ごろに相次いでアジアからホラーを買い込んだ…立役者はアジア系アメリカ人のロイ・リーやダン・リン、日本の一瀬隆重など…時期に、知らず知らずのうちに、日本側の怨念もとりこんでまったことにアメリカの人は気がついてないっぽい。自分のものにしたと思って、リングとか呪怨とかリメイクしまくってる。

反米怨念ホラーの代表作は、何と言っても『呪怨』シリーズ!パート3まで作られた同作が優れている点は、日本という国の空気をハリウッド映画の中で見せたこと。そして、もっと面白いと思ったのは、ハリウッドではヒーロー役をやるような男優女優が、日本の訳のわからん伽倻子幽霊ととしお幽霊になすすべもなく斃れていくこと!ビルプルマンは『インディペンデンスデイ』で米国大統領(同作はアメリカから見たメキシコの位置付けが分かる。後にコカインの件ではずいぶんな描き方をするようになるってのもお見事)、サラミシェルゲラーはバンパイヤハンター!強いッ!!まあビルプルマンは、『ゾンビ伝説』でもハイチで大変な目に…アメリカ人が海外に出るとろくな目に遭わないというのがよく分かる。パート2、パート3も全て日本が絡んでいて非常に良い。ホラー版『ロスト・イン・トランスレーション』ですね。文化というものを越えて攻撃してくるから怖いッ!その意味じゃシンガポール映画『冥土』は恨みを感じる前にすごい速さでホスト国の文化が出稼ぎメイドたちを襲う!酷いッ!!!!救いがないッ!!!!!

さてお次は、『シャッター』。これは元々タイのホラー映画で、日米合作でリメイクした作品。これがねぇ…キャスティングがバッチリすぎて…話は、仕事で東京に来た所謂『六本木外人』なアメリカ人男性が日本の女性を弄んでるという我々が抱きがちなイメージをそのまんま映画にした作品。元々、男に酷いことされた女幽霊の復讐話なのだが、そこに、ネオコロニアルとしての日本の哀しさを読ませるのがラジカルッ!!!

日本女性役は奥名恵さん。この人敵に回したらやばいよ…本上まなみでも怖そうだが。その母役は宮崎美子さん。好き…。

私は忘れない…私は忘れない…って岩崎宏美の『想い出の樹の下で』かと思ったわーうそよ思ってないない。

弄ぶアメリカ人役の男優は、名前忘れちゃったけど、絶妙なキャスティングだと思った。何かねぇ…弱者にいやなことしそうな小物感のある男たちなのよ…ハンサムすぎてもダメだし、ブサイクだとモテるという設定に説得力が無い。主役→友達→更にダメそうな友達の順に容姿が緩むの。なので、その逆の順序で奥名恵幽霊に始末される…そこに少し爽快さがあり、ソーシャルスリラー性も少しあるわけ。製作当時はまだ、被害者性とかレペゼンとか何とかをホラーに書き込むことをしてなかったけど、まあでも、書かんでも分かるよ。これを、新たな形の植民地、日本のネオコロニアルホラーと言わずして何とよぶのか。…日米ザマミロホラー?

韓国のホラーにおいて、日本という存在が恨みの対象として辛うじて機能していることは、『漁村の幽霊 パクさん、出張す』や『コクソン』で明らか。

何つー緩い邦題…でも韓国の中の宗教勢揃いで楽しめます。

だがねー、もう恨みが弱まってるんだなって思う。何と言っても韓国はグローバル化に乗って日本よりうまくいってしまった国だし、そういうエリートが国を動かしてるから、少しずつ、日本、恐るるに足らず、となっていくんじゃないかなあ…。

インドでは、Netflixドラマで、かつてのイギリス軍が呪われて亡霊になって、いまだにそこにいる…というのがあった。

インドや韓国の場合は、ポストコロニアルと言ってもいいが、日本のネオコロニアル状態は現在進行形だ。だからこそ、我々に意識されにくくもあると思う。純日本のホラーでそこのところをハッキリ描いた作品が思い浮かばないことが、それを物語っていると思う。


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