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竹美映画評③ 最近の若い子は… 「カムガール」(”CAM”、2019年、アメリカ)

2010年の映画「ソーシャルネットワーク」は、リーマンショック後の不況の中で、アメリカの若者たちに対し、「大学ドロップアウトして起業して億万長者になったダサ男」という夢を与えました。でもね、世の中にマーク・ザッカーバーグは一人いれば十分なのだと直ぐ気が付いた若者たちは、ウォール街占拠等の行動に出て体制側をびびらせた。カウンターカルチャー趣味の富裕層=ハリウッドは、この機会を見逃さず、格差問題や差別の問題を積極的に映画化してガス抜きしながら庶民からお金を吸い上げたわ。私には、ジョーダンピール映画の新しさは、その構造さえも嘲笑ってるような狂気にあると思う。

さて、そんなオバマ期から今に至るまで、普通に勉強したって借金抱えるだけでバカらしいや!と、安易に金を儲けようとして失敗する若者の群像映画が沢山作られました。①窃盗(「ドント・ブリーズ」「NO EXIT」)、②ドラッグ販売(「We are your friends」)、③YOUTUBER(「グッドネイバー」。YOUTUBERの薄っぺらさを指弾する脈絡では、インド映画「リクシャー」も同じ。あちらは貧困州から来たリクシャー運転手の狂気がチャラい中間層のYOUTUBERを制裁する隠れざまみろ映画で、豊かになんかなれねえ層の恨みがめちゃくちゃ怖い)。子供であるが故の稚拙さが問題を大きくするという描き方は外していないところが、現在ハリウッドの良心かも。そして第四の金儲け手段は、エロ動画配信。YOUTUBERのさらにその先を行く廃墟。今はねえ、ポルノ動画配信こそが、見た目がよく、要領もよいが少し短絡的な子たちにとっては手っ取り早い収入源になってるみたいで、その節操のなさにハリウッドも映画作っちゃった。今回の映画「カムガール」では、ソフトポルノ動画配信をして自立する女の子のお話。彼女の生き方もそれなりに衝撃ではあるけど、何が一番驚くって、その母親の反応であり、それこそが、この手の映画群の裏テーマ、「子供が分かんないのよ」なのよね。


美しい娘アリスは、ソフトポルノ動画の課金ライブチャットサイトで自ら出演・運営し、一人で家を借りる程の収益を上げていたが順位にはご不満。順位を上げようと躍起になるが、ライバルの女達に視聴者を奪われる始末。ある日アリスは、自分のアカウントが乗っ取られ、自分そっくりの女が自分になりすまして動画を配信しているのに気が付く。


まず驚いたのが、課金制の個人動画配信で、家を借りられる程のお金を得られているという描写。マジかよ。しかも、元締めによって不法就労の女の子達が搾取されている…という「ミステリーロード2」のような話ではなく、サイト運営は、あくまで配信者の自己責任としてやっていると描写する。

これも新自由主義の一つの生き様なのだ。


ネットアイドル風情では到底順位もお金も稼げないと分かっている彼女らは、課金してくれる金持ちのおっさんたちと直接連絡を取って会ったりしている。アリスも、ハゲデブ(かわいい)ジジィに取り入って、パトロンとして利用しようとしている。ストーカーじみた第二パトロンは、アリスの家の近所に引っ越してきて彼女を慌てさせる。「ドント…」も全部そうだけど、彼女たちは「自分が状況をコントロールしている」と思い込んでいるからこそ予想外のことに慌てる。子供だからね。アリスは、動画配信では脱がない、セックスはしない等の彼女なりの基準を設けていたのだが、アリスのニセモノはそれを次々に破ってしまい、皮肉にも動画サイトで1位を獲得してしまう勢い。


やがて、偽アリスが過激な痴態を見せていること…というかそもそもそんな手段で金儲けていたということが、弟や母親にバレてしまう。今までバレてなかった方がびっくりだわw「いつか話そうと思っていたの」ってあんた、有吉佐和子『悪女について』の公子じゃないんだから…。でも、そこで母親は、「あなた、きれいだったわよ…」と、理解を示そうとするのだ。いやー普通に考えたらキレるだろうよ…と思うんだが、「物分りのいい親」でありたいという気持ちが勝っている。このシーンがとても興味深く、それが今っぽいんじゃないかと推測しているわ。リベラル時代のアメリカの親は、子供に何かを押しつけることを避けるあまり、子供が本当のトラブルを引き起こしたときにも「物わかりのいい親」に逃げてしまってるように描かれる(むしろ、口きかなくなる弟の反応の方がまともでは)。この映画の場面について、リベラル的態度が社会に浸透したことが影響しているのでは…と見るのは行きすぎかしら。最近観た「リング」のアメリカ版リブート版なんか、父親が、大学入る前の女の子を自分の息子の部屋に泊めさせていたぞ。他方で「ヘレディタリー」や「サーチ」では、裕福で教養もある親が10代の子供のことが分からなくて困惑しているし、「ドント・ブリーズ」「We are your friends」では親の存在感が希薄過ぎる。


実は、私もね、海外のゲイ向け無料ポルノ動画サイトを見てて、少し前からおや?と思っていたの。素人が個人的にアップしたように見える動画がやけに目立つ。こんなの撮って、流出したらどうすんの…って思うようなものが。でも本作に照らすと意味が分かった。容姿がよく、自己演出に長けた人が自分を商品にして動画配信して課金してもらっているんだね…そうやってポルノは、産業としては違法アップロードに対抗しつつ適応してるんだ…確かに素人動画を観ていると、「チャリーン」とお金の音がすることがあった。要するに、YouTuberの亜種なんだわね。


ってあんた何観てんのよ…


アメリカの若者の素人ポルノ出演と言えば、ドキュメンタリー映画「くすぐり」の事例は怖い。アメリカ中西部、景気の悪い地域では、見た目のいい男子達がポルノ紛いのビデオ出演をした結果恐喝に遭っていたというの。でも、本作を観ると何か拍子抜けする。素人のポルノ動画にお金をぽいっと支払うような層がいて、見た目のよい子たちはその人たち相手にあっけらかんと商売しているわけだから。それもまた事実の別の側面なのね。


リアリティーショーの「ル・ポールのドラァグレース」や、ゲイ向けの豪華客船ツアーを撮影したドキュメンタリー映画「ドリームボート」等を観る限り、アメリカのゲイには「ドラァグクイーンになって稼ぎつつ有名になる」という夢が提供されている。それはアメリカのゲイ文化市場の厚さを物語るし、「ドラァグならいいか」と安心してしまう。でも私は…それとポルノ動画配信がなーんとなく重なるのよね…。ポルノ動画配信は、腹をくくっていれば、生活費を稼ぎながら有名人の気持ちを味わうという、アメリカ的な快楽が見えるし、自分の肉体を売るよりは安全そうに見えるでしょう。でもね、「男性」の眼差しの中であはぁぁああん…と悶えることに、積極的且つ主体的に取り組み、自分達なりの「成功した人生」を追い求める若者たちを観ていると…ネットによって、「見た目」とか「センス」という天然資源が人生を大きく左右することがはっきり見えてしまう今、LGBTのみならず、ゲイの社会も、常に嫉妬や剥奪感による分裂の危険性を孕んでいるのではないかしら。映画「パージ」シリーズも、後になる程人種差別主義者の話として矛先が逸れたけど、本当は、あらゆる所得階層の嫉妬が渦巻いていることを隠そうとしているのかもしれない。


本作は、作品としては大したことないんだけど、他のホラー作品と比較して考えるっと、浮き彫りになる社会背景はあまり笑えない。そういう意味では私好みの映画だったわ。

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