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竹美映画評53 狂気の師弟関係と脱走した悪い弟子 『風の丘を越えて 西便制』(1993年、”서편제”、韓国)

イム・グォンテク監督と言えばこれ!というほどの韓国映画決定版『風の丘を越えて』を久しぶりに鑑賞した。

韓国政府のYouTube上の公式チャンネルで、20世紀の韓国映画がたくさん公開されている。大半は英語字幕がついているのに、なぜか本作はハングル字幕付き。音声が聞きづらいテレビで見ている私には非常にいい。

https://m.youtube.com/watch?v=sdjwD4jW4XY

時代は(恐らく)日本統治時代から1960年代位までの韓国を舞台にした映画。旅芸人一家の父ユボン、弟のドンホ、姉のソンファの3人は地方を旅しながら芸を磨いていた。歌(パンソリ)を学ぶソンファと太鼓を学ぶドンホ。しかし厳しい旅生活に嫌気がさしたドンホは二人を捨てて出て行ってしまう。残された二人は更に歌の訓練に励む中、父はソンファの心の「ハン=恨」を高め、歌を完成させるためとして、ソンファを失明させてしまう。時が流れ、大人になったドンホはソンファを探して旅を続けていた。

以前、『タゴール・ソングス』の映画評の中で、本作と同作の類似点について言及した。

https://note.com/takemigaowari/n/n796dd34161ff?magazine_key=m96a4831c1d9a

インドで、歌を教える師匠と、彼から歌を学ぶ若い女性の関係が、ユボンとソンファの関係に似ていたのだ。彼女は映画の中で自分の言葉を一切話さず、ただ、歌の器であるかのように歌っていた。誰かについて何かを学ぶということは、あるところまでは、器のようにならなければならないし、師を超えるためにも必要なプロセスだと思う。

血のつながりの無い弟と姉の想いが歌の中でぶつかり合う最後のシーンを観ると毎回もらい泣きしてしまうんだけど、今回は別の感情が押し寄せてきた。師匠から逃げ出した自分と、ドンホの「すまなさ」がつながったのだ。

私の恩師は本作が好きだったと記憶している。ドンホが去った後、ソンファに歌を教える父の姿が、師匠の姿に重なってしまった。研究者としては独自の道をひた走ってきた師匠は、強烈な孤独の中にいたのではないだろうか。そして、弟子ができるということは本当はうれしくて、教えたくてしかたがなかったのではないかと。非常に厳しかったし、怖い先生だった。私はダメな学生で、そもそも文系の知識もないのに先生も困られたことでしょう、私に雑誌の束を渡してくださり、これ読んで何か見つかるかやってごらんと教えてくださった(よう考えたらスパルタ式!)。

あるところまでは行けた。が、ある程度まで進んだ時点で、恩師から「君の頭は左翼だから、早く思想転向しなさい」という課題をいただいた。これが困った。どうしてもできない。1年以内に自分の中で意欲が死んでしまった。転向できない自分を偽れなかったから。恩師は、私が自分でその山を越えられるかどうかを見ててくださったんだね。でも私は後ろ足で砂引っ掛けるみたいにして逃げた。先生に申し訳ないし恥ずかしい。今でも夢を見る。先生とまたお話ができるという夢を。でも夢に留めよう。兄姉弟子や後輩たちが私という出来損ないのやらかした事を補って下さるに違いないと勝手に思っている。どこまでも身勝手で、制御できない悪い元弟子が私だ。弟子を名乗る資格が無い。

思想転向とは何だったのか。私なりに山を越え始めるまでに10年の時が過ぎた。そして、それがアデイ onlineでの映画評「パヨクのための映画批評」に繋がる。

去られた師匠の気持ちを、ドンホが去った後のユボンの様子に読み込んでしまった。ユボンは、戦後韓国の中で、パンソリがどんどん衰退し、他の役者たちが鞍替えをしたり、ソウルで成功したりしているのを知りながら、そういうことでは芸の道はダメになるという信念で、現実に立ち向かっているのよね。そして、ドンホとソンファだけが傍にいた。でもドンホは裏切ってしまい、結局死に目には会えない。私もそうなるのだろう。

最後、ソンファは、ドンホとの再会に甘んじることを自らに許さない。そして、ドンホもその一線を守る。或いは、罪悪感がそうさせたのか。お互いに名乗らないのだった。それでも、ハンは解いたとソンファは言う。でも全部は出し切らない。そして、師匠の教えの通り、再び芸の道を究めるために旅立つ。その姿を斜め後ろから捉えている。悲しいが勇敢な姿だ。彼女にとってはハッピーエンドなのかもしれない。ソンファは、魂がどんどん透き通って行ってしまった人生なんだろう。しかし悲しさや苦しさが幾度も通り抜けた顔をしている。私はそんなことはできない。ソンファは、自分で望んでそうなったのだろうか。それとも強制されたのだろうか。その生き方しか無いと思ったのか。

ユボンがソンファの目を失明させたことを知っていたと分かる、ユボンの死の間際のシーンも、師弟ものとしては激アツだ。ユボンは死を覚悟し、病床でソンファに対し、

私を赦していなければ、お前の声には私への恨みでいっぱいになるはずなのにな…お前の声にはそんな跡が無かった。これからは、お前のハン(恨)に埋もれることなく、そのハンを越えて歌うのだ。

というようなことを言う。ユボンは最後まで師匠なのだ。狂人だ。身勝手だ。でも、ソンファは、芸に生きた人生を全うさせようと決意する。というか、そうする以外無い。そこがねえ。。。苦しくて泣いちゃう。私ならできないから。どうしてもそこに、「犠牲者性」と「被害者性」を読み込んでしまうから。そして、師匠ほどの狂人になり切れない精神の苦悶を私が勝手に見るから。感動して泣いちゃうというより、ひたすら悲しい。そのような生き方が。自分には絶対できないが、一瞬でも、人生のひと時、そのような精神に触れたのだということを強く思い出す。

ちょっと物語として面白いのは、身体機能の欠損が精神活動に与える影響に期待している点だ!ありえない精神論だが、それをやってしまうのが芸の狂人だ。人じゃなくなる一線を越えた師匠の狂気…。でもそういうものなんだろうな。

私は文章書く人間としてどこに向かっているのだろう。恩師が何気なく発した言葉は確実に私の中に生きている。その言葉に乗っ取られることなく、私も自分の道を進んでいくことができるんだろうか。そうなれたとき、きっと、恩師に会いに行ける準備ができるだろう。

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