見出し画像

竹美映画評④ 「フライングジャット」("A Flying Jatt”、2016年、インド)

※まさかの、公式さまよりご紹介いただいたので、ネタバレになるところを一旦削りました。9月9日


インドのSFファンタジー娯楽映画を観ていると、子供の時に見た戦隊ものを思い出す。「マガディーラ」のゴーラ初登場シーンなんて完全に悪の組織のアジトだし、ラグヴィールが悪をやり切っててホントおかしい。今回の映画「フライングジャット」もそんな少し懐かしい感じがした。

学校で子供達に武術を教える気弱な青年アマンが、村の御神木の力を得てスーパーヒーローになるお話。テロを解決したり、レイプ事件を防いだり、麻薬(多分コカイン)密造現場を台無しにしたり、ご近所ヒーローというには過ぎるほどの活躍をする。そんな時、街の汚染物質をエネルギー源にする怪人が立ちはだかり、街の皆を怯えさせる。助けて!フライングジャット!!

こってこての戦隊ヒーローもの映画だし、こんな子供向きの話を大人も楽しめる味わい深い作品に仕上げるインド映画界、すごいわ。本作は本国では興行的には失敗したらしいけど、インド人からしたら、こんなの普通でしょ、位に思うんだろうね。映画のレベルが高いもん。

インド的な人物描写についてはやはりそうなんだなと確信を強めた。インドの映画には、いい人も悪い人もいて、悪い人だって反省することができるし、それは自分で悟らねば分からないと描くような気がするの。ある人物の反省はなかなか極端だが説得力があった。何と言いますか、その辺の展開が素直過ぎて、それを偽善だの何だのと言いたい自分が恥ずかしくなる。

個人的には、私の好きなダサヒーロー映画に新たな傑作が加わった形だわ。奇しくもベスト竹美映画「皆はこう呼んだ 鋼鉄ジーグ」と同じ年の作品。ダサくて気弱な青年が勇気を振り絞って自分自身を超えた何者かになるという物語は、「ブックオブライフ」「ターボキッド」にも通ずるし、ヒーローとは匿名の何者か…普通の人間ではなくなるのだという定石も押さえている。アマンは、武道の先生なんだから強いはずなのに気弱なの。フライングジャットとして活動し、段々と神々しさを帯び、澄んだ瞳になって無名の誰か、神の使いとなったことが歌い上げられる。そこ面白いね、表情が段々無くなっていくの。つまり自分自身を解放する物語ではなく、自分じゃない何者かの人格を自分の中に持つということなのではあるまいか。勇気という名前の。もちろんお母さんお手製の変身スーツを脱げば普段の気弱なアマンになるんだろうけども、これから先の人生を考えると色々考えちゃうわ。「ローガン」みたいにきちんと引退するのかしら。でもそんなことはインド映画の中では重要ではなさそう。このタイプの作品では、神の使いということでヒーローの抱える孤独が解消されるのではあるまいか。


本作は、神の力でインドを外敵から守る宗教映画にもなってるの。それってインドだと普通なのかもしれんのだけど。のみならず最後まで観たら分かるけど、宇宙に進出して世界に打って出るインドのプライドを示した愛国映画でもある。知らなかったけど、シーク教徒は、インドでもからかわれたりする存在みたいなのね。まあ年中ターバン巻いてたら皆見るよね…一方でシーク教徒は勇猛であるという通念もあるらしく、気弱でシーク教徒の誇りを持たないアマンに神の気が宿ったと知った母の喜びはひとしお。ミシン回してコスチュームも作るわよ!

母としてはアマンに武術の達人だった亡き父のようになってほしいのだが、当のアマンはそんなの嫌だ、とターバンも巻かず、髪も切って髭も剃っている。立派な祖先とか親を持つと苦労するわよね。

日本の最近のダサヒーロー映画「いぬやしき」と比較すると、フライングジャット=アマンの背負っているシンボルは結構でかい。宇宙規模で悪と戦うんだから。犬屋敷さんは、家庭内の自分の立ち位置回復という、小さい世界の中で家族のために戦うのであって、背負っているものが相対的に少ない。したがって社会的な問題と接続しなくても済むのだ。

対照的に、「皆はこう呼んだ 鋼鉄ジーグ」や「フライングジャット」「ロボット2.0」「ザ・マミー」「ミラージュ」「念力」の主人公達が戦うのは宗教的、乃至は社会的な悪の勢力であり、逃れようもなく現実の問題に接続している。


友達にそれ話したら、日本はまだまだ豊かで住むのにいい国なのよ、という話になった。確かにそう。日本ではヒーロー映画とは言いにくい「シン・ゴジラ」がヒットしたけど、あれ、日本社会全体に接続しながら、現実に生きてる一部の日本人が淘汰された後の日本の秩序や倫理についての話でしょう。私はあの世界に接続できなかった。それって私が日本から取り残されつつあるってことなのかもね。

現実には存在しないフライングジャットが助ける人々や、戦う相手のカットには、インド社会に対する懸念が含まれている。日本の「シン・ゴジラ」に大災害を契機に人を淘汰して新しい日本を作り出す方がいい、という願望を読むことが可能ならば、まあまあラジカルな現状批判ね。そういう設定無しにはヒーローを描き得ない…やはり日本はまだまだ社会に不満を抱く人が少ないのだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?