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アデイonline再掲シリーズ第七弾 我に力を! ~「キャリー」(”CARRIE”、1976年、アメリカ)

これも2017年に書いたものかな。私自身こんなにこの映画について書きたいことが出て来ると思わないで何となく書き始めたやつだった。2017年は、アデイonlineという場所をいただいて、溢れるように、何か霊を降ろしたのかと思う位の勢いで書いてた。後から後から言葉が出てきた。言いたいことが30数年間溜まってたんだね…

本作、ザマミロ的な爽快感のある映画でありながら、結局この世と正面衝突せざるを得なかった少女(そして女)の物語。母親のマーガレットは、多分真面目でお堅いがタテマエ重視の家で育ち、どこかでその嘘に気が付いてしまって壊れてしまったのだと思う。マイケル・ギルモア『心臓を貫かれて』を読むと、「お堅い保守的なアメリカ」がいかにタテマエと体面によって支えられていたか、それが20世紀に社会が豊かになり、自由が広まっていく中でどのような軋轢を生んだか、ということが何となく分かる(自由の拡大とハリウッド映画は無関係ではいられない)。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163521206

マーガレットもこういう何かから出てきたのではないか…という気もした。では、「保守性」を完全否定して「自由放埓」に走ること…同性婚して可愛い子供を養子にして育てているのに、海外に一人旅行行ってやりたい放題…みたいな都会の豊かなゲイの人生は一体何なのか…。アメリカは常にその2つに引き裂かれているのであって、融合することはないんだろう。

ではどうぞ。

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パヨクの魂って何だろうかって考えてみたときに、「ルサンチマン」というものを避けては通れないの。ちっくしょう、あいつらぁ…ゴゴゴゴゴという恨みの感情が付きまとう。負の感情、誰にだって多少はあるんだけど、それを特定の階級に向けさせ、彼らを心底憎悪させることこそがパヨクの神髄なの。北朝鮮の新聞とかによく出てくるあの感じなんですね。心底憎悪する心が100%肯定されている奇妙な空間、そこにいて一体感を得るというのは爽快だと思う。そこまで行ってしまうと極右と変わらないんですが、そこに「進歩発展→普遍的な正しさ」みたいな価値がくっ付いているのがパヨクの怖いところ。だから治りにくい。その上、100%肯定された憎悪の心は必ずと言っていい程力を欲するのです…


今日の映画は、鬱屈した負の力から一念発起、持てる力で全てを破壊した少女の物語、「キャリー」について考えてみようと思います。


私、子供のころは、臆病なくせして目立ちたがり、自分の人生をぜーんぶ親だの先生だの社会正義に投げ出したがってた(承認欲求とも言うのかな)と思います。でも、勉強も運動もできねえし、小心者だし、走ったら「おかま走り」って誰かがあたしの本性をいちいち暴いてくれるわけ。面と向かって「もっと気を大きくもった方がいいよ」と同年代に肩ポンされる小物の竹美。ありがとう、皆の方が正しかった。でもやっぱりそれ不満だったみたいね。いい子、正しい子、皆から好かれている、と言われたかったのだろう。まあそういう感じで自分を真っ直ぐに見ることができない小学校高学年の歪んだ私の心に入り込んできたのは…超・能・力・少・女…要所要所でオネエよね私


本作の主人公の少女キャリーは、キリスト教原理主義にハマったママ、マーガレットによる精神・肉体的な圧政の中で卑屈に生きていたんだけど、ある日自分に超能力があることを知り、少しずつママに反抗し始める、少女革命キャリーなの。キャリーったら、全然いい人じゃないのがいいのね。映画でも、近所クソガキが「キモい、キモい」と囃し立てるのに怒り、クワッ!!とにらむと、クソガキが三輪車ごとコケるという痛快シーンがある。原作でも「いい気味だわ」という風なのよ。良心の呵責なんかない。その時の超能力の効果音が最ッ高なのよ、キュイッキュイッキュイッ!!!ってなるの。携帯の着信音か何かで私も欲しい。


後には「厨二」趣味という形である程度吸収されたけど、きっと力を欲していたに違いない私が特に惹かれたのは念力。テレキネシス。モノを動かす力…ゴゴゴゴゴ…鬱屈した心が遂に本当の力を解放する、というキャリーの物語は、悲痛な分だけとても魅力的。ちなみに私は、20代半ばまでインテリブルジョワ家庭出身の甘ったれゴクツブシだったので、キャリーとは似ても似つかない。彼女は虐げられて虐げられてからの解放だから、痛快とは言えない。


原作者のスティーブン・キングも気に入っているという映画版「キャリー」。原作者キングは、子供の頃は太っているといじめられ、父親は出奔して家は貧乏、そんなとき彼の心の支えは、コミックの中のモンスターたちだったと言います。本作「キャリー」書いたときも極貧で、作家になることもほぼ諦めていたらしい。そのせいなのだろうか、負の感情が漲っている。本作はデビュー作として高い評価を得て直ぐ映画化、キングを一気にモダンホラー界のスターに押し上げます。


主演シシー・スペイセクがまたね、卑屈さと不潔さを全身で表現するのよ…後半の不気味さもよい。対するいじめ女、クリス役のナンシー・アレンの不敵さ。冒頭から乳出すし、舌舐めずりするし、ビッチの魅力全開。結局監督のデ・パルマと結婚しちゃってその後は民営化されたデトロイトの警察で働く羽目に(「ロボコップ」)。マーガレット様役のパイパー・ローリーも「凄い」の一言。


でも本作、毒親の影響から逃れようとする自立と挫折の過程を考えるといたたまれない。母と娘、最後は敵味方に分かれて対峙するわ。マーガレットは、想定外に子を産んで「穢れてしまった」という思いに常に責め立てられているの。それは彼女の願った形では無かったために、彼女は自分含め世界の全てを憎むことに逃げちゃったのね。業火で焼かれ続け、周囲を呪い続ける魔女になっちゃったのよ。意思が肉体に屈したのが自分的に許せない。だから娘には異常な執着で「宗教的にクリーン」になるよう管理しようとする。でも一方で、初潮を迎えて堕落して行くに違いない娘を徹底していたぶりたいという衝動もありそう。ほれ見たことかぁぁああって。あざ笑う表情まで想像できちゃう。


ここまでこの話に思い入れあったなんて今日まで知らなかった…まさか私の化身の一つ、パヨクがこういう風にホラー趣味の一端と結びついていたなんて…


パヨクの思想の底辺には暴力肯定、力への意思、というものが脈打ってるというのは、実感としても当たっている気がしてしまう。だって「社会変革に犠牲はつきもの」とか普通に言えてしまうんですから。自分の中にもそういうものが脈打っているんじゃないかと思うこと、あります。たまに、周囲のものを全部ぶっ壊して、言っちゃあいけない罵詈雑言を浴びせまくる夢とか…自分でもぞっとしますけど、見ますしね…私の中に眠るテレキネシスを発動させないで過ごしたいの…ゴゴゴゴゴゴ

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