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アデイonline再掲シリーズ第四弾 「愛はお腹がすくの 「RAW 少女のめざめ」("RAW"、2016年、フランス・ベルギー)

自分の中にある欲望が、社会と正面衝突してしまうとしたら、どう生きる?潔く死ぬべき?

これが同性愛のめざめの話だったら全然違うのだが、本作は、その一歩先、「正しさ」に挑戦する欧州映画として、大変志が高いと思った。観たのは2018年の夏。この年は沢山映画を観ることができたのだが、本作は2018年のベストだと思った。

「他人の意思を無視して加害すること」が欲望としてムラムラ湧いてしまう女の子のお話です。社会から逸脱した欲望を持つ女は魔女として貶められてきたモチーフである。男の場合の吸血鬼や狼男、はては『エルム街の悪夢』のフレディさえも、もしかしたらそういう「社会と正面衝突する欲望」を「悪」の領域に落とし込むしかなかった、外れた者たちへのレクイエムなのかもしれない。この領域の問題を、私はどう考えるべきなのか。考え続け、自分の心に訊いてみることを繰り返している。

今読み直すと結構エグったこと書いている気がした。

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またしても人食っちゃう映画です。ホラー好きなのよやっぱり。でもね、今回のはただのホラーじゃないんだよ。
今回は初ベルギー映画でございます。私が唯一観たことのあったベルギー映画ときたら「変態村」。まあこれがどんよりしたお話で、「田舎に行ったら襲われた!」系の不条理映画よ。今回の「RAW」にも「変態村」の主演男優が重要な役で出ていました。お話は…
優秀な成績で獣医の大学に入学したジュスティーヌはずっと野菜しか食べていない。そんな中、大学寮の新入生しごきの中でうさぎの腎臓を無理やり食べさせられたことから、どういうわけか肉が食べたくて食べたくてしかたなくなる。それも、人間の肉を。恐ろしくも哀しい、人肉食に目覚めていく少女の成長物語。
大学寮のルームメイトはゲイの男子、アドリアン。性欲あり過ぎみたいで入学直後からお盛んにヤリまくっています。そんな彼のことが気になって行くジュスティーヌ。彼の方もまんざらではなくて、二人の不思議な距離がどんどん縮まって行く…でもさ、ゲイって最初っから言ってるじゃんか。エロ動画観ながら股間まさぐるシーンで観てらしたの、あれゲイポルノよね。まさかああいう展開になると思わなかったんだけど、セクシャリティーは揺らぐのだという考え方なのね。或いは彼女の魔性に魅入られて揺らいでしまったと観ることも可能だわ。
本作は、性欲のめざめ=肉食欲のめざめとして描いております。処女だったジュスティーヌが、上半身裸でサッカーに興じているアドリアンを見てムラムラきてるところの顔の凄いこと。興奮しすぎて鼻血出すからね。覚醒した彼女にとって、食欲と性欲に区別なんかないのよ(どうでもいいんだけど、私に言わせればサッカーできるゲイって眩しすぎて近寄れない。イタリア映画の「明日のパスタはアルデンテ」でもゲイの兄弟がサッカーするんだけど、球技のできない私にはリアリティが一切無かった。そうよ、ゲイはドッジボールから逃げ回り、「ひゃっ」とか言いながら無様にボールぶつけられて退場するべき影の存在…それ、私だけなの!!?!?ねえ)。
大学には1年上の姉、アレックスとジュスちゃんの関係も面白いと思った。姉妹ってああいう感じなんだろうか。時々とんでもなくひどい喧嘩をしても、やっぱり何かあったら二人でお話。お互いにとってかけがえの無い存在なのよ。そこで、アレックスの妹に対する言動には不可解な部分があり、「本当に妹のことが大事なのか?」ともやもやするのだが、映画の終盤に理由が分かってくると…姉の妹に対する愛情と憐み、「こうするしかない」という諦めがじわじわ迫って来る。それでもなお、「私は生きていくんだ」という強い意思に打たれた。
ほとんど出てこない母親(顔がほとんど映らない)は、ジュスちゃんに結構きつい当たり方をしていて、毒ママの感じがあるんだが、彼女は彼女なりの考えがあるのだとラストで暗示される。そして父親。ラストに明かされる一種ユーモラスですらある生き方は、彼の優しさなのか、弱さなのか。
ネタバレに近くて非常に言いにくいんだけど、本作、食人族として覚醒してしまったジュスティーヌ=魔女(けだもののように四つん這いになって唸るシーンがある)の成長物語。「自分はこれから何ものになるのか、どう生きるのか」という問いに直面させられてしまう。そして、やっぱり若い女性監督が作った映画だからかしら、男が決して「魔女」を罰したり、或いは聖女として祭り上げることもない。男はただただドン引きするだけ。
同時期に製作された青春ホラーの佳作「イット・フォローズ」が引き合いに出されるみたいなんだけど、どうかな。「イット・フォローズ」では主人公は少女なのに、男子が童貞喪失によって得る満足感が本当のテーマ。主人公の少女が無意味にそこら中の男子とセックスをするんだけど、それって男子には「させてくれる」=「大人にさせてくれる」存在であり、女神(後には単にヤリマンとして記憶されるとしても)。対照的に、「RAW」では、初セックスは通過点に過ぎず、むしろその先に来るものの方が大きいと、観る側が直感している。
さて、自分のせいじゃないのに沸いてくる欲望が社会と正面衝突してしまうとき、自分はどのようにそれを処理すべきなのかしら。ラストの方で父親が言う「お前は悪くない」、「お前には解決法を見つけてほしい」という言葉は、あの場面では滑稽ですらあるんだけど、解決は本当に可能なんだろうか。また、欲望を抑えることは自分一人が背負うべき罪なんだろうか(もちろん、是非考え出していただきたいのは間違いないのよ)。篠原千絵の漫画「海の闇、月の影」も思い出しました。あちらの方がもうちょっと正義寄りだったけど、悪に身を任せる双子姉妹の片割れの流水(ルミ)が「自分の意思と関係なく憎しみが湧いてくる。そのおぞましさが分かる?」と叫ぶ痛み、それに対して本当の意味では寄り添えない妹の流風(ルカ)のとの亀裂が印象的だったわ。あれは女子の厨二漫画ね。
男子の厨二ものは「力を得てついでに女子を獲得する」が主題になりうるが、女子の厨二ものは、第二次性徴や初体験や初恋をきっかけとして力が目覚めるケースが多いみたい。ジュスティーヌは、それまで大人しく地味ながり勉だったのに色々目覚めさせちゃった結果、これから更に数奇な運命に導かれるのでしょうね。
本作は、ダークヒロイン誕生譚にすることもできたでしょう。何なら悪人を次々に食いちぎれば世の中も認めてくれるんじゃないのか。でもそんなの、ジュスティーヌがやりたいことじゃない。好きじゃない人の肉なんか食べたいわけないよね。誰のために食べるのよ?世間から「生きてていいよ」とお墨付きを与えてもらうために?違う。食べたいものを食べるのよ。でもその欲求を100%肯定することもできない。社会というものがあるから。「ありのままで」という言葉が何と虚しく聞こえることか。
ホラー映画は、極端な架空の状況の中で、私たちに、生きることの意義や、ぎりぎりの選択、引き寄せられてはならないと知りながら、自らの欲望に屈して害悪に身を躍らせてしまう弱さ等について考えさせる。音楽もすごくいい。終わった後しばらく座席で震えておりました。

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