アデイonline_パヨクのための映画批評_8x_君の名は

竹美映画評:あなたは令和人になれますか 「君の名は。」(2016年、日本)

前前前世から~♪って歌が数年前に流行ったね。2018年以降のテルグ映画の洗礼を受けた新世代インド映画ファンが聴いたら真っ先に「マッキー」という映画を思い出す。恋敵に殺された男が蠅に転生し、思慕する女の元に戻って来て守ろうとするという執念物語!!!怖い!!!!乃至はインドの隠れBL映画「マガディーラ 勇者転生」も思い出す。インド映画の転生って本気の度合いが高くて怖いの!!!!だからインドで「前前前世から~♪」なんて気安く言っちゃあいけない。というのはもちろん憶測よ。
さて、日本で大ヒットし、一部の映画ファンを何となく面白くない気持ちにさせたアニメ映画大作「君の名は。」。私は観るのを躊躇っていた。新作でレンタルすると高いから安くなるまで待った。ワーキング・プア美だから…そして、視聴を躊躇ったもう一つの理由は、公開当時に観た友達に内容を説明してもらった後見た夢の内容の方が、映画より面白かった気がしたから。竹美さんがオリジナル超えた奇跡の瞬間…でも今1ミリも覚えていない。まあ、要するにいまいち乗れなかったんだな。
お話は…東京に住む男子高校生の瀧と、岐阜の田舎町に住む女子高校生の三葉は、時々互いの意識が入れ替わっていることに気が付く。不思議な取り換えっ子生活を楽しむ2人だったが、ある日突然、入れ替わらなくなってしまった。不審に思った瀧は、観た風景の記憶を頼りに岐阜まで三葉を探しに行くのだが、そこには驚きの事実が待っていた。
音楽と映像は、心に引っかかるものがあり、忘れがたい印象が残ったし、お話も面白かった。「桐島、部活やめるってよ」並みの「淡い感情の繋がり」が描かれていて、どこか一歩引いたような「平成の青春」を楽しんだ。
本作については皆が褒めてる(そして貶してもいる)と思うので、本筋と少し離れ、私の最近のテーマ「オカルト回帰する日本」という観点から考えてみる。この内容でヒットしたことを考えると、本作が陰陽師級のオカルト要素満載の映画だとも感じてないのではあるまいか。「ありがたがる割には神的なものを明確に信じてはいない」という、日本人の天皇家に対するスタンスの取り方とも重なる。
途中で、2人の若者たちの魂が入れ替わる現象は、少女の一族に伝わる素質であるということが明らかになり、血筋の物語、すなわちオカルト映画に置き換わって行く後半が本作の核。本来はそういう神事ファンタジー映画なのに、ただの女子高生が男子高生と入れ替わった高校生の淡い恋愛映画としてヒットした。三葉の家が神社を守る巫女の家系である時点で、彼女は「ただの女子高生」ではない。最初の方から三葉は巫女の服装で噛み酒の儀式をやったり、組紐を作ったり、祖母に連れられて聖地に行ったり、神事にどっぷり浸かっている。クラスの子(ちょっとヤンキーめいてる嫌な子)達からは、噛み酒の儀式を見られて嫌悪感を示されたり(日本人が昭和後期から助長させた潔癖症コードでもあるね)、父親が町長をやっていることでやっかまれたりしている。三葉は母を早くに亡くしており、父親とは確執がある。祖母のことは好きだけど、早くこの街を出て行きたいと願ってもいるところが「普通の女の子」である数少ない要素かもしれない。でもねえ、彼女がそこまで真剣に出て行きたがるほど、悪い感じもしないのよね。あの田舎。その感じが不思議。
後半、背景説明のためだけにいると思われた祖母が突如本性を現すところは驚いた。祖母の名前は一葉、その娘、三葉の母の名は二葉。三葉の妹は四葉。要するに本作、特別な血を引く女一族の物語なの…90年代初頭のOVAだったら悪鬼が襲ってくるレベル。でももう平成末期だから来ないよ。本作の中に一点の穢れも無いのがやはり平成末期の空気感に対応しているのかも。一葉は、二葉が亡くなった後、落ち込む父親を「婿養子のくせに!」と罵っている。そらあお父さん、出て行きますよ。妻を喪ってただでさえ苦しんでいるときにどうしてそんな酷い態度を取れるんだろう。祖母が突如見せた激しい感情について、何か弁明が入るかと思いきや、最後まで無い。これ…見方を変えれば「ヘレディタリー」みたいなホラー家族物語なんじゃないか…祖母一葉は、二葉が娘を2人産んだ時点で父親は必要なくなっただろうし、父親は神社の儀式に理解を示さない邪魔者だ。父親と三葉の間の確執は、あの祖母が意図的に(または無意識に)助長したのかもしれない。ラスト付近で父親が下した判断は、この一族の血と祖母への無自覚な服従宣言とも取れる。
一葉は、時間というものが可逆的なものであることをさらりと子供たちに教えている。近代以降の時間意識って、基本的に過去から未来に一直線に進むっていう考え方でしょう。その中で「戻る」と語ってるっつったらね、カルチュラルスタディーズ的に言えば近代国家から押しつけられた秩序・規範への抵抗ってことになるんだろう。それは日本の場合、ふんだんにオカルト要素を含む形を取る。
三葉の一家が代々やってきた役割は、日本全国規模にまで広げて考えたら、天皇家が日本国に対して果たす霊的な役割の相似形。そういう、現実に機能している実体に通じる日本独自の宗教的モチーフを濃厚に含む物語を、私達は何とも考えずに楽しんで観た。「土地を守る巫女一族」という設定は、アメリカ映画における「神」「悪魔」「聖書」等に匹敵する程、日本人が抵抗なく受け入れることができる物語装置なのだ。そういう隠れ文化装置が表出する本作は、「シン・ゴジラ」と共に平成末期の雰囲気を表現した重要な作品と思う。
90年代前半のOVAなら悪鬼と戦う巫女一族として描くことも可能な設定(むしろ私はその方が好き)を「自然界に対する日本人の守護者」としてのみ使っているのはどういう背景なのかな、と私なら思っちゃうんだけどね。本作にも「シン・ゴジラ」にも乗れなかった私は、これから日本で滅んでいくタイプの人間なのね…時代遅れの黄昏オバジは間違いなく取り残されるが、結構多くの人が取り残されると思うのよね…次々に流布する言葉や、素早い状況変化をどう乗り切るか。まあ、私はオカルトの観察を続けるわ…

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