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テルグの赤色映画を知ってしまった…

テルグ映画には左翼映画の系譜がある…そんなことを前にインド映画に関する本で読んだ気がしてたのだけど、ラームチャランその他に気を取られてすっかり忘れていた。

それを思い出させてくれたのがこちらのツイート。

ガチムチ兄貴が…ゴゴゴゴゴ…凶悪な顔で赤い旗をバックに…私はガチムチヒゲ兄貴が主役なら2時間くらい映画を観てられる得な性格なので、ひとまず、教えていただいたこの兄貴、ナーラーヤナ・ムールティという俳優の主演映画、『Orey Rickshaw』という作品を観たッ!

リクシャー運転手のスリ(ナーラーヤナ・ムールティ)は、警察によるリクシャー取締に反抗、地元政治家の力を借りて対抗するが、警察の横暴は留まるところを知らない。おまけに地元政治家派彼らを裏切ったッ!怒りに燃えたスリ達は立ち上がり、赤旗を掲げて勇ましく行進するが…

さいしょ最初はこんなただのリクシャー運転手だったのに…
こうなって…
こうなる!!!

赤旗を掲げている点と、相当残酷な描写を含んでいる点を除けば、ラームチャラン主演の『ランガスタラム』と似てはいるし、完全に被ってると見えるシーンもあった。本作は1995年の作品、一方『ランガスタラム』は2018年の作品で、八十年代を舞台にしている。

何かしら似たテイストがあるのは当然なのかもしれないが、本作のいくつかの描写にはかなりホラーのテイストも感じられ、痛快、というよりは残酷だし後味悪くて怖い作品だと思う。体制転覆の狂気へ至る様子がこれでもかこれでもかと観る方の精神を責め立てる。そしてセリフ一切分かんないのに最後まで観たくなる!作りが上手い!パワーのある作品ですね。主演もすごい!

必殺神様パワーが感じられないまんま行くとこまで行くから、ついに内戦になり山狩りへ…こんなに真っ赤っかの内容なら北朝鮮でも上映できそう。が、最後の最後で、あ、前の方のあれは伏線だったか!と分かるシーンが。これ、くる!きっとくる!ほら神様、来ました!!!めっちゃ怒ってます!!!!

最後の最後にスーパーナチュラルなものを混ぜてきたか。これは熱い!!!!『カンタラ』にも似た作りだッ!!おまけに現実か、空想か分からないようにしてあるのも面白く、そして残酷だ。そこに現実社会への強い非難が読める。

本作は、ウィキペディアによれば、同じ時にチランジーヴィ主演の映画が公開されたが、結局本作がチランジーヴィ主演作に興行収入では勝ったらしい。でもそのくらいのすごい力のある作品だった!!

テルグ映画を楽しむって、こういうことだったのか。ラームチャランは好きだけどそんなに私好みの映画に出てなかったし、テルグ映画自体を殆ど観てなかったんだけども、こりゃあ…いいネタを知ってしまったわ。ナーラーヤナ・ムールティの外連味あり過ぎの演技は時々刺激物として接種しよう。

ちなみに面白かったのは、敵方の一味の中に明らかにオネエの男性がいたこと。悪辣なオネエの表象って、テルグ映画にもあったんだね…。それとかなり気に入ったのは、こちらも悪辣な女警察署長。

実にいい演技
面構えが最高

そして彼女には単なるコミック・リリーフに留まらぬ役目が回ってくる。やっぱり左翼運動から来てるからかな、女性も鬼の形相でガンガン戦う。

別にこれマルクス主義関係ないよね、とは思ったけど、アイドル俳優がバッシバシ戦うのよりも残酷でおどろおどろしいところがあり、群衆シーンや、ただ傍観している人々のシーンは妙にリアルな感じがした。映画として面白いし、ラストシーンが異様にかっこいい。二時間半、まぁまぁ長いけど、ちゃんと最後まで引っ張ってくれる作品。

やっぱり、チャンペー=殺すって頻繁に言うてました。オネエさん、理由は不明だけど悲惨な末路を辿るよ。オネエは殺されていたのね…ナンヌチャンペスターラー?私を殺すのかぇ?みたいなのは聞き取れた!←ろくでもないセリフ!

それからね!アッルーリシータラーマラージュの名前も出てきた。眠くなったので何か散発的な感想で終わるがかなり面白かった。

でもね!安心して。上記のとおり、おかわりの作品も先輩に用意していただいたッ!!!英語字幕つきでまたテルグドロドロ映画を観られるのよゴゴゴゴゴ

(11月4日追記)
体制転覆の狂気へ至る様子」と書いたけど、正確には社会全体に対してではないのかもしれない。既存の地元権力に対する反発としては韓国にも見られる学生運動・労働運動の残り香とも共通するが、「国家」が敵になっているわけではない。確かに赤い旗を振ってはいるものの、地元権力を倒すこと以上のことを考えているようには見えない。

そこで…『K.G.F.:Chapter2』を考えてみると、あれは国家に対する反逆であり、70年代80年代のインド国家に逆らって地元に一つの理想郷を開くというロマン映画だった。インドって…思った程まとまってはいないのだな、ということは分かる。ほっといたら地元権力が暴走して足元から崩れ落ちるようなことが起きかねない。そこで歴代政権は色んなことをして来たのだろうし、インディラ・ガンディーは国内統治に失敗したと描かれる(『Laal Singh Chaddha』でも『KGF2』でも)。

ではモディは?彼の強引とも言える国内改革は何をもたらしているか。我々のような外国人の立場からならば、同政権は「宗教右派のポピュリズム政権であり非常に危険だ、もう『バジュランギ』のような映画は作られないだろう、ほらボリウッドボイコットが起きている」という物語で納得してしまえる。ある立場にとってはモディ政権は100%敵である。そして、現状に対する別の側面からの理解は不要であり、邪魔で不愉快で冒涜的だと感じるだろうと思う。「多くにとって好ましい変化と一部にとって好ましくない変化が同時に起きている」のが現実だ。「好ましい変化」が100%の人に享受され、「一部」というのが最小限もしくはゼロになることが望ましい。が、そうはなっていない。

そんなとき、左翼映画のぶち上げるポイントは明確だ。搾取に対する反抗が回答である。では宗教映画がぶち上げるポイントは?そこが人を選んでしまうのだろう。

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