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八十年代ハリウッドホラー映画に見る「よき家族」の崩壊

レーガン政権下、タカ派アメリカというイメージ作りに全面協力した時代のハリウッド映画を観直すと、「インディ・ジョーンズ」シリーズ、「ランボー」シリーズ、「コマンド―」「トップガン」…と同時に「プラトーン」「サルバドル」をやるという幅広さがあるのだが、もう一つ特徴的な部分がある。「家族」自体に価値があるというテーマである。

同時代の私の大好きなホラー映画シリーズに「ポルターガイスト」がある。「E.T.」(1982年)の裏番組としてスピルバーグが製作したSFホラー映画の第1作から第3作、そしてリメイク作品の4作。

2と3は評価低いし、私も長年不満だった。でも、そんなB級ホラー作品シリーズだからこそ、社会状況がわかりやすく浮かび上がってくるのかもしれないね。

お話は、外宇宙の存在がある一家の末娘、キャロルアンを異界に連れ去ってしまうのだが、彼女を奪還するのは家族の愛と絆であるというのがメインのテーマ。パート1(1982年公開)では、普通の家族が恐怖に襲われ…という話だが、夫婦が寝室でマリファナ吸ってたり、長女を母が16の時に産んでいたり、どことなくきしんではいるの。

前作の4年後(1986年)に製作され、ストーリー面がちょっと弱い「2」は、対照的に設定がものすごくおもしろい。最初の事件から一年後、一家は妻の実家に身を寄せて祖母と暮らしている。父親はやり手の不動産屋だったのに、今じゃ失業して掃除機のセールスマン。髪の毛もヒッピー時代に戻ったかのように長くだらしない。飲酒習慣も出てくる。さらに驚きなのは、数ヶ月前には若い女と浮気もしていたのを妻が許して受け入れてきたという経緯。長女がいない設定になっているのは別の話なので割愛するが、奥様…子供たちのためとは言え我慢しすぎでは…でも、16歳で最初の子を産んで、その時点の設定ではわずか34歳位、その上フルタイムで働いた経験も無さそうだと考えると、80年代アメリカにおける「専業主婦」の立ち位置とはどういうものだったんだろう(余談だけど「エルム街の悪夢」では主人公ナンシーの専業主婦のお母さんがアルコール依存症っぽい)。

家族の中で一番弱いのは、父親なのだが、そこに、牧師の霊が、家父長の権威を煽りながら一家に接近してくる。彼は生前カルト教団の宣教師で、自らの予言により「1」の舞台になった家の真下で集団自殺していたことが判明する。カルト教団の集団自殺と言えば、人民寺院事件(1978年、カルト教団が900人以上の信徒を巻き添えにして自殺した事件)を思い出す。

更に、酒に酔った夫が妻をレイプしようとするところを娘が観てしまうという衝撃のシーンがある。あれは悪い霊のせいだった、愛の力で追い出した、と両親揃って主張するのだが…あの時期のメジャーなハリウッド映画の中で、ましてオスカーの候補にもなったような映画の中で、子供を巻き込むような形での「家族の亀裂」を描いた映画って…あったのかしら。でもホラー映画なら描けるよね。

「3」(1988年公開)ではフリーリング一家は離散状態になっている。キャロルアンは親戚の家に預けられているが、血のつながりは全く無い。さらに、預けられた家の妻は若く新婚(夫は再婚で十代の娘の連れ子あり)で、キャロルアンの世話をするなんて聞いてなかったという不満を隠さない(ナンシー・アレンが上手い)。シカゴの超高層マンションの99階という設定も巧みだが、学校でも周囲の子供達からも孤立するキャロルアン。この状態で、異界からあの存在から狙われたらおしまいである。最後、バラバラのピースだった家族がうまく一つになって力を発揮しそうだった瞬間、全く別の方向からの力でキャロルアンが救われる。

パート1から3までにあの一家が体験したことを、ホラー部分を抜きにしてしまうと、「娘の誘拐事件の後、数年間で崩壊した家族」の物語に見えてしまう。特に「3」が娘を家族の力で救ったわけじゃないというのは重要。80年代ハリウッドホラーは、家族の価値を強調しながらも、実態は極めて危ういということを示していた。同時期の「危険な情事」では、「家族を危険にさらす父親」というテーマを描いていたものの、その後ハリウッドは「セクシーサスペンス」という方向でお茶を濁したように思われる。女優達にとってやりがいのある「悪女」映画でもあり、マイケル・ダグラスのセックス依存症的な側面をごまかした。

そして、そうはいかぬとマイケルの前に立ちはだかったのが…キャサリン・ゼタ・ジョーンズである。

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