竹美映画評70 『パーフェクト・ケア』("I care a lot"、2021年、アメリカ)

アメリカ(追記:いや、どんな社会もそうなんだけど)を外から眺めるということは、どうしてもその社会の異様さを浮き彫りにしてしまうのかもしれないね。

https://www.netflix.com/browse?jbv=81350429

今回の映画は『パーフェクト・ケア』。J・ブレイクソンというイギリスの監督が監督脚本、ロザムンド・パイクが主役のマーラ・グレイソンに扮して再びアメリカ女性の一つの極を見せ、ピーター・ディンクレイジが双璧をなす犯罪者を魅力的に演じる。ダイアン・ウィ―ストも怖いし、マーラの恋人フランを演じるエイサ・ゴンサレスも蓮っ葉さと純愛が交差していて嗄れ声がとてもよかった。

よかったっていうか、最ッッ低な話なんだけどねw

おはなし

富裕な老人の公的な後見人という仕事をするマーラ(ロザムンド・パイク)。実際は医師やケア施設経営者と結託し、問題のない老人をケア施設に閉じ込め、財産をせしめる詐欺師である彼女は、恋人フラン(エイサ・ゴンサレス)と共に荒稼ぎ。新たに富裕な独り身の女性ジェニファー・ピーターソン(ダイアン・ウィ―スト)をターゲットに絞るも、彼女には秘密があった。彼女と繋がりのある犯罪者、ローマン(ピーター・ディンクレイジ)が彼女達を脅かす…

アメリカにおける成功とは、きつねとたぬきの化かし合いなのか

初っ端から、老婆をだましてケア施設に入れてしまい、全財産を吸い取ってしまう様子から始まる。息子が異議を申し立てるのだが、ケア施設や医師がグルになっているので覆すことはできない。息子は老婆に会いに行くことすらできない。そうやって人の涙の海にボートを浮かべて幸せカップル生活を送るマーラとフラン。彼女たちが守っている価値=LOVEに全く共感できないのだが、LOVEがあれば大体何でもいいって感じのアメリカを皮肉っているのではあるまいか。まして二人はレズビアンカップルだ。冒頭の異議申し立てを却下された男が、彼女に「レイプされちまえ!殺されてしまえ!」と、今多分一番言っちゃいけないタイプの暴言を喚き唾を吐きかける。彼女は如何にも男の横暴には負けない女として彼を言い負かす。実際のところ、彼女が彼の母親の人生を握ってしまっているので下手なことはできないのだった。恐ろしい

私が思うに、マーラは生まれの家族に虐待されたか何かで完全に家族の縁を切ったようだ。貧乏で裸一貫からフランと手に手を取って頑張って生きて来たのである。この、「生まれの家族を捨て、自分の選んだ家族でLOVEを実現する」という物語は、(恐らくは)アメリカの性的少数者の間で強く支持されていると見える。この物語、大変感動的な要素を含んだLOVEの物語であり、『ボーンズ・アンド・オール』で美しく表現されている(らしい)ように、厳しく人を律しようとするアメリカ社会の中で、それは一つの逃げ道であり続けると思う。それは『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の物語とは異なる場所に降り立っている。今後その二つの家族物語がどうアメリカで解釈されていくのか。

一見無害(作中では「どうせ金の亡者だろ」とマーラに貶されるw)で富裕な夫人、ジェニファーがその正体をあらわにするところも怖くてよろしい。彼女の背景は今一つはっきりしないが、稀代の犯罪者だったと見え、後に絡んでくるローマン(ロシア系移民と見られる)と二人、こちらも手に手をとって犯罪に手を染めながら、底辺から這い上がって行ったことも何となく示唆される。一方は血縁家族、もう片方は選んだ家族、どちらも一歩も引かない。きつねとたぬきの化かし合いだ!実際のところもっと怖いんだけど。

嘘嘘嘘のアメリカ

マーラを突き動かしているものは何だろうか。彼女を苦しめ、彼女から大事なものを奪っていくものの正体はアメリカ社会そのものと見える。嘘、嘘、嘘の連鎖が巨大なお金を生み出し、社会を覆いつくし、幸せすら作り出し、誰一人そこから逃れることはできない。それならば、その中で勝利者に、雌ライオンになるしかないじゃないか。ちょっとくらい金持ちから奪って何が悪いんだ!結局は彼女が最も憎んでいたかもしれない相手と同じ仲間=金持ちに擬態して、憎しみでぎらぎらしながら、決して人に心を開かない。

それでもなお、マーラはEvilではないように見える。Badではあるが。何かそこに許しの扉があるんだろうけど、日本人にはBadもEvilも大差ない。彼女の身勝手な理屈がどうしても引っかかりつつ、心情としては何となく分かるという感じ。マーラ自身が「自分自身を最もうまく利用するのだ」と最後にとうとうと話しているように、自分の身一つで全てを手にしようと生き抜く姿はフェミニストだ。どうにも好きになれないが、別に人から好かれることなんか、フェミニストは望んでいないだろう。男にビッチと呼ばれてやっと一人前だ。

もしフェミニズム的な映画にするんだったら、彼女の生い立ちの苦労や個人的な憎しみや喜びをもっと描き出しただろう。しかし本作は容赦ない。女だから、男だから、というのを超えて、歪な人たちが欲望のままに突っ走る様子が面白おかしく描かれている。ラストはあの形にしてくれないとちょっときついね。だって、お話全体は、私が毎晩好んで視聴するタイプの、「誠実な嫁が犯罪集団の主犯格だった」とか、幸せの絶頂で行方不明になったカップル!とか、そういう実録犯罪ものと変わらないんだもん。そういうのが私は好きなんだけど、どうして好きかって言ったら、結局は、「こんな悪いやつなんか成敗されちゃえ」という快楽に酔いたいからだ。上記「誠実な嫁が…」なんて、少し脚色すればフェミニズム映画として賞賛されるだろう。例えば『ハスラーズ』はそういう種類の虚構性が高い物語のように思われてしまい、どうしても私は観る気がしない。虚構であるが故に、その虚構を指摘してはいけないような感じがし、最初っからどういう感想を述べたらいいかが決まっているような映画なのだ。私には。

犯罪者に対して犯罪を犯して何が悪いんだっていう義賊物語には虚構性が含まれる。やっぱり犯罪である以上、必ずしも100%正義になれるわけはなく、多少は無実の人間からものを奪う側になり下がることになる。私は、キャラクターにその悪を引き受けて欲しいと思ってしまうのだろう。『ハスラーズ』がどういう結末の物語なのかは知らないのだが、そういう風に見てしまうと楽しめないのではないか、観る前から文句が出てしまう自分がいる。

そんなの、私がぬくぬく恵まれて育ってきた男だからなんだろうけど、恵まれなかった側には常に正義があるのだろうか今回の映画『パーフェクト・ケア』は、そこをぐさりと刺しているように思う。非異性愛者の女性カップルのLOVEを表象する映画としては、幸せと悪のバランスがちぐはぐで、非常に後味が悪いのだ。マーラとフランは幸せになってはいけないんだろうか。同時に幸せになるための方法ってのは何でもいいんだろうか。自分を虐めて来た社会の仕組みに乗っかって、自分が搾取する側に立つことは結局何をもたらすんだろう。社会ってのは本当にひどいことも沢山起こるし、本質的に質が悪いのだと思う。

※誤字修正済

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,776件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?