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竹美映画評17 左旋回した社会に生きる庶民の居直り詐欺「パラサイト 半地下の家族」(“기생충”、2019年、韓国)

カンヌ映画祭でパルムドールを獲った本作を観て来た。ポンジュノ監督映画なので期待感が高かったが、期待に応える傑作だったわ!やっぱり彼は韓国に戻って撮るのが一番いいね。韓国の庶民がどう感じながら生きているかを描かせたらそのえげつなさは一番だもの!

お金持ちの豪邸で、貧しい一家の長男が家庭教師としてアルバイトを始めるのだが、貧しく仕事も無い長男の一家がどんどん従業員として入り込んでいく様をユーモラスかつホラータッチで描く映画よ。ラストの方の暴走はネタバレしたくないから、本作については「臭い」だけ話すわね。

堂々のアカデミー賞の外国語映画・作品・監督・脚本…あと忘れた部門にもノミネートされた本作、ヨーロッパでは韓国映画はだいぶ前から好かれていたが、今回ポンジュノ監督がオスカーを獲れば、2010年代の監督賞が、デミアン・チャゼル(「ララ・ランド」)とキャスリーン・ビグロー(「ハートロッカー」)以外は外国人監督に贈られてきた流れを受け継ぐことになる。黒人監督の受賞はゼロなのにメキシコ人監督が合計5回ももらっているのは、アメリカ社会の対メキシコの本音を糊塗したいからではないかなと思う:いいメキシコ人は来てください・悪いメキシコ人は来ないでくださいってやつね。

さて本作。韓国映画は、金大中政権以降、北朝鮮に対して許容的になるのと歩調を合わせて社会が左旋回する中で、娯楽性と社会性(階級闘争的な目線)を両立させるようになった。李明博大統領も朴槿恵大統領も保守系だったけど、もはや社会の流れを変えられなかった。本作でも北朝鮮のことがジョークの中に出てくるが(従北ギャグ、というようなことを言っていたように思う)、南の人間が北朝鮮を全く恐れなくなったという意味で、北朝鮮の思想浸透は変な意味で大成功している。「心の武装解除」は、金正恩時代に更に加速しているようである。

本作はまた、韓国語の庶民(ソミンと発音)のニュアンスを知るとまた違う見え方をする。私は韓国に二年住んだことがあるので、本作は、ストーリーや設定こそものすごく凝っていて面白い一方、「あー…こういう詐欺、韓国ならありそう…」と思った。韓国の「庶民」のイメージからすると、こんな事件が起きても「ふーん」で済ましてしまいそう。韓国の庶民は元々「お上」や「社会」を信用していないふしがあり、いつでも逃げ出したり抗議したりする準備ができてる。学生運動が勝った韓国ては特に、デモや抗議集会が普通に見られる。本作では、豪雨被害で体育館に避難した人々の様子が出てくるんだけど、日本と様子が違っている。韓国に比べると、日本では(特に平成期以降は)、庶民の方が「お上」と「社会」によっかかっているように見えるからね。

室谷克実さんの元気のよい著書『悪韓論』は、日本語で読める資料を駆使して韓国社会の三面記事的な部分を臭わせることに成功している(本作も「臭い」がキーワード)。あの本の執筆意図は私は好きじゃないけど、本作鑑賞の前にぜひ読んだらよいと思う。絶えず庶民を搾取しようとする「お上」や金持ちとの階級闘争として読めば…本作そのまんまになる。あと、この本については、あんまり他人のおうちのゴシップばかり書き立てると「そこまで知ってるってことは…アンタもソウル赴任時代にいい思いして来たわね…」と、筆者の過去まで邪推してしまうのよ。

ポンポン監督お気に入りで、本作主演のソン・ガンホが本作のことでインタビューに答えている動画を見たところ、「アナウンサーの労組のストの現場に、当時まだ有名ではなかったソン・ガンホが応援に来た」エピソードが取り上げられ、更に、朴槿恵政権時代の「ブラックリスト」について話が出ていた。朴政権時代に反体制的的だとされる俳優や監督のリストが作成された件ね。要するに、今、世界で知られるような韓国映画に出ているナンバーワン俳優は左系の人である。同じく常連俳優のファン・ジョンミンもおそらくそうだろう。これが、学生運動が勝利した社会のありようなのだと思う。

ところで、韓国の庶民が「お上」を信じている状態がどういう感じか…をもし想像したければ、今やYoutubeで見放題になっている北朝鮮映画をご覧になるといいのかも。北朝鮮の現代劇では、「愚かな人」はいても「悪い人」がいない。それは「お上」を信じ切ってる(と描写される)からではあるまいか。他方、時代劇を見ると、大っぴらに悪役が出てくるし、大体が「悪い代官様」とかなので、韓国の時代劇とあんまり変わらない。

極力内容について話しないように書いてみたら全然関係ない話に始終してしまった。韓国映画には、階級格差の問題や差別の問題を取り上げるほどの熱量と活気があるが、そのことを以って韓国社会に浄化作用があると判断できるかどうかはまだ分からない。社会が殺伐とする程、皮肉にも映画が面白くなってしまう傾向があるでしょう。映画をめぐる社会関係…描かれる人、作る人、観に行く人の関係は本当のところどうなのだろう。欧米受けの良い、格差や差別を取り上げた作品がたくさん出てくるとはどういうことなのか。原題の「寄生虫」の意味を考えると…貧困層が金持ちに寄生してたかって生きているという風にも取れるし、本作が貧困層に寄り添うことを意図してはいないと考えることによって…私は、ジョーダンピール監督の「アス」のような、俯瞰してニヤリと笑うような意地悪さがあるのでは、と疑っております。

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