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常識の枠外に出る時代とお坊さんの出家

「お坊さんユーチューバー」として活動をしていると、変わった仕事をいただくことがある。
最近は「お坊さん向けSNS講座」とか「お坊さん向けYouTube講座」のお声がけが増えてきた。お寺への参詣者は減少しており、なにかしらの情報発信をしないとこれからマズイんじゃないかという雰囲気。
僕は最新の技術とかマーケティングとか大好きなので、各種プラットフォームで最新の情報をキャッチアップするようにしている。お坊さんだけど横文字がバンバン出てきても対応可です。
しかしながら、一般的な仏教界というのは、時代遅れはかなりのもので、いまだにFAXやハガキで出欠をとっている。ADHD気味な僕は書類系は一瞬で無くしてしまうので、早くメールに移行してほしい。そんな世界なので、当然、SNSは「怪しい」「危ない」という理解で止まっている。Zoom会議を提案しようものなら「心が届かない」「私には無理」といった声が多数。
「URLをクリックしたらできること」も聞く前から「できない」となると、いったい何ができるのだろう。

もともと「仏教は最新科学」だった。奈良時代、平安時代は中国が最新の技術を有していた。それを日本に持ち帰るのは僧侶の仕事だった。中国に渡った僧侶は仏教を学ぶだけではなく、それに伴っている建築、医療などさまざまな分野の知識を身に着けて日本に帰ってきた。
当時、全国各地にお寺が立てられたのは、仏教を信仰していたということもあるが、お寺を拠点に最新科学を各地に広め、日本全体の活性化を狙っていた。お寺を作るためには、大きな建築をしなければいけない。人が集まるためには道を整備し、その人たちには医療や教育が提供された。僧侶は仏教の法話をしながら、地域の外の話を人々に伝え、きっとそこから新しいアイディアが生まれてきたのだと思う。

僧侶は「出家する」という言葉もあるように、家を出る。家出するんです。これは俗世間から離れ、自分の執着している家や家族、持ち物を捨てて、新たな価値観を見出すためである。仏教というのは、世の中のみんなが考え無さそうな角度から考察を深めるのが役割だと思う。「みんなと同じ」に僧侶が陥ってしまっては仏教の意味が無い。

さて、お坊さんはSNSを使うべきか?仏教を広く発信するには役立つものである。でも、みんなが「SNSを使うべき」と言い始めた時には、逆に「本当にそうか?」と問うのが仏教。
情報やフォロワーを広く浅く集めることにはだんだん意味が無くなってくるんじゃないかと思うようになってきた。YouTubeは情報発信にはとても役に立つ。でも、「心が届かない」のである。ご高齢の僧侶方がZoomに馴染めない理由と同じ。対面で響き合うような体験はオンラインではできない。

SNSをするか、しないか、ではなくてその先を見つめるタイミングが来ている。次は「コミュニティ」という声もある。これはまさにお寺が得意なこと。各地にあるお寺は、地域と密接にかかわっている。今、足りないのはお寺での「ワクワク感」だと思う。新しいことや意味の深堀り。これからが楽しみ。

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