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【仏教×心理学】これからの子育てについて思うこと

僧侶で、臨床心理士をしていると「どんな子育てをしているの?」と聞かれることがあります。
年に何回か、保護者を対象とした講演や研修会があり、子育てについてとってもいい話をしているのです。とってもいい話をするということはブーメランになっていて、つまりは、「この武田という人はさぞかしいい子育てをしているに違いない」ということになるんですね。
困ったものです。お察しのとおり特に素晴らしいわけではなく、普通に子育てをしております。腹が立って怒るときもあります。子どもに言いたいことが伝わらずにイライラすることもあります。一緒に遊んで楽しいときもたくさんあります。
願わくば、子どもたちにはできれば楽しく過ごしていて欲しいし、やりたいことを頑張ってもらいたい。周りの子には優しく接してほしい。誰かを傷つけたり嘘を言ったりしたときには本気で叱ります。
実に当たり前で、みなさんもほとんど同じ価値観を持っているのではないでしょうか。

仏教には七仏通戒偈というものがあります。

諸悪莫作(しょあくまくさ) ― もろもろの悪を作すこと莫(な)く
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) ― もろもろの善を行い
自浄其意(じじょうごい) ― 自ら其の意(こころ)を浄くす
是諸仏教(ぜしょぶっきょう) ― 是がもろもろの仏の教えなり

Wikipediaより

七仏というのはさまざまな仏教の教えに共通する教えということです。お釈迦様の教えは実にシンプルで「なるべく悪いことをしないで、いいことをしなさい」です。そうすれば、自然と心がきれいになるとのことです。

「そんなことは分かっているけど、それができないんだ」
分かります。僕もそう思います。

子育ても同じです。単純なんです。悪いことをしたら叱って、いいことをしたら褒める。お互いにイライラしないで、なるべく心はご機嫌な状態で過ごす。これができたら最高です。

なんだけど。仕事が忙しかったり、子どもがなかなか寝なかったり、思い通りにならないことが続くと、この当たり前のことを忘れてしまう。
心理学は、この当たり前のことをどうやったら実行できるかを科学的に明らかにしています。
仏教は、当たり前のことを言い続けて、当たり前のことを忘れがちな私たちが立ち戻るきっかけを作ってくれます。

僕はもともと子どもと遊ぶのが好きなので、気持ちに余裕さえあればいくらでも楽しく遊んでいられます。これが難しくなるのは仕事が忙しいとき。やるべきことが重なったり、やりたいことがあるのにできなかったりすると、イライラしてきます。これはよくない。よくないけど、仕事もやるべきことであり、大事なことだからやめることはできない。

日本は少子化です。子育てをしている人をもっと手厚くサポートするべきだと思います。あまり政治的なことをいいとか悪いとか言うことはしないのですが、教育に関しては間違いなく一番コストをかけるべきだと強く考えています。未来を作るのは子どもたちです。
僕は今38歳ですが、残りの人生を考えると自分の限界も見えてきたし、人生の折り返しポイントです。自分のやりたいことはぼちぼちやりながら、子どもたちがのびのび過ごせることを優先するべきだなと思います。

子育てをしながら、思い浮かぶのは、「一切皆苦」と「諸行無常」です。
一切皆苦というのは、人生のものはすべて思い通りにならないということ。
諸行無常というのは、すべてのものは移り変わるということです。
子育ては思い通りにならないのが当たり前なんです。でも諸行無常なので、その難しさはずっとは続かない。子どもは勝手に成長するので待ってたらいいんです。
「自分のときは」と、昭和の教育論を語りたくなる時もありますが、彼らは令和を生きる子どもたちです。価値観は諸行無常です。スマホやYouTube、AIが当たり前の時代を生きる子どもたちは、僕の時代よりもはるかに進化しています。僕たちよりも成長は早く、僕たちには想像もできないようなアイディアを生み出すことでしょう。大人しく負けを認めて引き下がるのが大人の役割ということですね。

「学校に行くべき」「勉強が第一」「クラスのみんなと仲良く」みたいな価値観はきっと変わるんじゃないかな。
どこにいても好きなことを学べます。友達は地域に限定されず、全国の気の合う友達と繋がることができるようになりました。教育のあり方は大きくアップデートするべき時が来たようです。しかしながら、教育というのは変化が苦手です。
ここに仏教の活躍するべきポイントがあります。諸行無常を教育の世界で訴え続けるんです。「変わるのが当たり前なんです。昭和の教育論からはそろそろ卒業しましょう」とチャンスがあれば話しております。

当たり前のことなんです。でもこの当たり前を実行するのは難しい。
当たり前をいかにして実行するのかということを議論した結果、仏教はさまざまな宗派に分かれていきました。それぞれの宗派は切り口が違えど目指しているものは同じです。当たり前をいかに考察していったのかという視点で見ると、仏教宗派の理解が深まるかもしれません。

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