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たのしいはおいしい

「彼女が静岡出身でさ、この間スーパーで静岡おでん売ってて食べたいって言ったんだよね」

昔のバイト先だったか、飲み会の席だったか覚えていないがそんな話を始めた人がいた。物腰の柔らかそうな方だったように思う。

「ソレを聞いて僕は【静岡出身なら自分で作れよ】って心のなかで突っ込んだんだよ~」

ソレを聞いた私は驚いた。ということはこの方は博多ラーメンをイチから作るのだろうか。きりたんぽを手ごねして竹串にくっつけて炭火で炙るのだろうか。

きっと彼のお母様はイチから作ってしまうタイプなのかもしれないと頭によぎったが、それはともかくとして私は【この人はごはんを彼女と食べていておいしいのかな】と疑問に思ったのだ。

彼女は望郷の思いで静岡おでんが食べたいと言ったんだと思う。思いでの味。想像だが。

親が作ってくれていたのか、行きつけのおでん屋さんの味か、スーパーで普通に売っていてよく買っていたのか、その辺りは分からない。

思い出を共有しながら楽しく食べたくて、彼がいるときに食べたいと言ったのではなかろうか。

しかし彼は彼女の思惑はスルーしていて、「スーパーの出来合いで済ませてしまう手抜きな彼女」を暗に責めていた。口には出していないと願いたい。

「楽しい」は横の関係で成り立つ感情だと思う。

マウント取り合戦で「楽しい」は生まれない。上の位置を取った側もその時生まれる感情は支配欲を充たされただけであって、「楽しい」ではないはず。

「楽しい」は共有し広がっていくもの。そして「楽しく」なければ「おいしい」も生まれないんじゃないかと私は思っている。

他人がいなければ「おいしい」が生まれないというわけではなく、一人の時だって自分と対話しながら食べていたり、こんな風に作ったらどうなるだろう?だとか料理と対話(何が入ったらこんなに美味しくなるんだろうなど考えたりする)しながら食べていると私はおいしい。

昨晩、私は炊飯を失敗した。土鍋でいつも炊いているのだが、うっかり鍋底の部分を焦がしてしまった。

しかし子どもはオコゲがたくさんあって喜んだ。鍋一面にオコゲが広がっていて爆笑していた。ほとんどの米は無事だったので普通に食べた。オコゲもせんべいのように食べた。固かったので歯の詰め物がとれた。困ったがまあ別の話だ。

ここで「…はぁーお米焦げくさっ。まずっ…ハァーぁぁあー」と文句を言われたりロングブレスため息をつかれたり説教をされていたらどうだろう。

失敗した側もされた側も楽しくない。お互いに気持ちが落ちる。もちろん食事も美味しくない。

「オコゲ面白い!」と子どもが共有する展開にしてくれたから「面白いね!」とたのしくおいしく食べることが出来た。

冒頭の彼も彼女に「静岡おでんの思い出」をまず聞いてあげて欲しかったなあ。もしかしたらよく買っていた商品とたまたま東京のスーパーで巡りあったのかもしれないし、行きつけのお店とのコラボ商品だったのかもしれない。

スーパーの出来合いで済ませるなんて…と幻滅するより思い出を語り合った方がきっとたのしくおいしくなったんじゃないだろうか。

BBQは大勢でワイワイ食べるものじゃなかったら申し訳ないけどそんなにおいしいものじゃないと思っている。米軍基地で軍人さんが焼いてくれた味もそっけもないハンバーガーもイベントやお祭りで食べたからおいしかった。

たのしく食べれば大抵のものはおいしいのだ。












つけヒゲに憧れているのでつけヒゲ資金に充てたいです。購入の暁には最高のつけヒゲ写真を撮る所存です。