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これが最後のサマータイム・ブルース


『RCサクセション』を初めて聴いたのは高校生の頃だった。

当時夢中になっていたブルーハーツもBOOWYもジュンスカも、尊敬するバンド、影響を受けたバンドに『RCサクセション』をあげていた。

だから、好きなバンドのルーツをたどる気持ちで聴いてみた。

結論から言うと、『RCサクセション』は予想とはちょっと違ってた。

高校生の自分にはあまりハマらなかった曲もあった。

でも結局、聴けば聴くほど、年数が経てば経つほど、RCサクセションに憑りつかれていく事になる。

だから、メンバー脱退があったのち、1991年に、無期限活動休止となった時はかなりショックを受けた。

その後、ブルーハーツやBOOWYをあまり聴かなくなった時期も、RCサクセションや忌野清志郎はずっと聞き続けていた。

一番最初に聴いたのはアルバム『RHAPSODY』だった。

そして、意外と言われる事が多いが、その次にどうしても聴きたかったのが『COVERS』だ。

理由は『RCサクセション』や『忌野清志郎』という名前を初めて認識したのが中学生の時だった事にさかのぼる。

中学でのある朝、担任の先生が新聞記事のコピーを配布した。

その記事は、原発問題や核問題を歌ったRCサクセションというバンドのアルバム『COVERS』が発売中止になったという内容の記事だった。

先生が話した内容は、今となっては殆ど覚えてはいないが、「みんなはどう思う?」と訊かれても、全員ポカーンとして何もリアクション出来なかった事はよく覚えている。

『原発』の事もよくわかっていなかったし、『RCサクセション』も知らなかったし、国や政治を真正面から批判したり、反対したりするロックバンドも聴いた事はなかった。

その日の事が強く記憶にあったから、『COVERES』をどうしても聴いてみたかった。

高校生になって初めて『COVERS』を聴いた感想は、ただただ衝撃だった。

こんな事歌っていいの?こんな歌詞作っていいの?

ハマるとか、ハマらないとかいう問題じゃなくて、本当に震えた。

衝撃を食らった僕は、古本屋で当時のインタビューなんかが掲載された雑誌類を買い漁り、発売中止に至る経過を自分なりに調べたぐらいだ。


だから、東日本大震災による福島原発事故が起こった時、清志郎が生きていたら、何を思っただろう?何を僕たちに伝えてくれただろうか?との思いが浮かんできた。

今、コロナウイルスに侵される世界を見て、清志郎がいたら何を歌ったんだろう?

配信のみのライブから、やっと有観客へと戻りつつある現在だが、清志郎ならどうしただろう?きっとみんながびっくりするようなやり方を思いついたんじゃないか?と想像してしまう。

ちなみに、コロナの事を考える時、僕は清志郎の『ウィルス』という曲が頭から離れない。(2003年発売アルバム『KING』に収録)


タラレバの話はともかくとして、忌野清志郎が僕に与えた影響は大きい。

『だって、そんなのおかしいじゃねぇか!』

時には、そう声をあげたっていいし、声をあげなければならない時もある。

そんな気持ちは今も僕の中に確かに存在する。


後期の清志郎は政治的な発言は少なくなり『LOVE&PEACE』をみんなに投げかけ続けた。

エキセントリックな清志郎を愛する人の中には「歳とった」「丸くなった」と言う感想もあった。

でも、僕はなんだか、それはちょっと違う気がしてる。

だって清志郎は、最初からずっと言ってたはず。

『愛し合ってるか~いっ?』

って。

あの頃も、『RHAPSODY』も、『COVERS』も、『LOVE&PEACE』も

今も、

おんなじなんだよな、たぶん。




※アルバム『COVERS』とシングル『ラヴ・ミー・テンダー(C/W サマータイム・ブルース)』はレコード会社を変更して1988年8月15日に発売されています。



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