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大人だから。

”大人だからこそ子どもに返るべき”

最近よく、そんなことを思います。


小さな子供って、本当に自由で、周りがどう思うかなんて関係なく、まずは”自分はこうしたい!”と主張する(出来る)。

大人がそれに振り向くまで「見て!ねぇ見て!」と言う。(言える)

それって大人からすると本当にスゴいことだなって、思うんです。

(みなさんは、言えますか?)


大人になるにつれてどこかしらで

「こうあるべき」「これはしてはいけない」「こうしなきゃいけない」

を学んできて、「できない(と思う)こと」「しちゃいけない(と思う)こと」が多くなっていく気がします。

規律や規範、モラルは守るべきだと思うけど、大概のそれらって、いつの間にか出来た暗黙の了解みたいなものだったり、案外自分が勝手に決め付けていたりするもので。

実は、必ず守らないといけないってわけでもなかったりするのにね。

子供の純粋な主張を見ていると、いつも本当に真っ直ぐで素敵だなって感じます。

屈託のない笑顔でそうされれば、「仕方ないなぁ」って許しちゃいますしね。

子供の「やりたい!」は大人を動かす、すごい力を持ってる。


その反対も然り。やりたくない、と思うことにも随分素直に首をブンブンと横に振る。(振れる)

「今はご飯の気分じゃない」「これは見たくない」「これじゃない」

そうやって素直に主張してくれるから、私たち大人も次の手をすぐに考えて実行してあげられる。気持ちのいいくらいに感情や考えを主張してくれるから、大人も接していてある意味楽ですよね。

私はついまわりくどく主張するものだから、夫に指摘されました…(悲)でも、言ってくれて本当にありがたい。


−−−

今思うこと。

大人こそもっと自由に、自分に正直に、生きていったらいい。

大人って長い。(何かのCMみたい)

でも、ものすごく楽しい。


「あれを言ったら嫌われるかな」「こんなこと言って馬鹿にされるだろうか」「これはやりたくないな」

自分の中で閉じ込めて自己完結してしまうこと。

自分の可能性を自分で摘んでしまうこと。

それって、とてももったいないことです。

言葉にしてみたら案外「いいよ」「やってみればいいじゃん」の声が返ってくる。

だんだんと日本社会の風潮も、色々な考え方、生き方があっていいと、風向きが変わってきている。良い方向に。

様々な大人社会の中で起こる「あるべき論」も実はあってないようなものだから、もっと素直に生きてていいんじゃないかって。

(私は自分でそれを作って、よくそれに縛られてきていました。)


大人だからこそ、自由に素直に、生きていったらいい。

私も、これまで自身を縛り続けてきた「マイルール」からはみ出て、もっと自分が楽しいと思うことに、重きを置いて生きてみよう。

そんなことを、令和元年に31歳を迎えようとしている今、思いはじめています。


\ご覧いただき、ありがとうございます!/ 拙い言葉を紡いでいきますが、これからも読んでいただけたら嬉しいです!