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【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-15
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▼ 表情筋に力を込める
昼食を済ませ、江ノ島の頂上付近まで登りきると、高台から相模湾が一望できた。
夏奈恵は何も言わず、有料の双眼鏡に歩み寄って覗き込むが、すぐに背を伸ばし肉眼で景色を見つめていた。その背中に「キレイだね」と声をかけようとしたときだ。
「ねえ、彼女とこういうところ来るの?」
突然だったので戸惑ったが、この日一番伝えたかったことを言うチャンスが突然訪れてた。
「実は別れたんだよね」
すると夏奈恵は興味津々になって理由を尋ねてきた。もちろん本当の理由なんか言えず、適当にはぐらかしていたのだが。
「じゃあ、どっちから別れ話を切り出したの?」
「オレから……」
「溝口さんって、意外とモテるの?」
「そんなんじゃないよ」
「大学で『泰輔先輩素敵です〜』とか言われちゃう?」
「言われたことないよ……。それより、そっちは?」
期待していた反応ではなかったので、私は口を尖らせた。
「別れた。振られた……」
夏奈恵は風を受けながら笑い、私は口元が緩みそうになり、表情筋に力を込めていた。
▼ 顔を歪めて、頷く
「不倫なんてそう続くもんじゃないんだよ。幸せにはなれないような付き合いは自然と終わるようにできてるんだよ」
「どうして?」
「だって佐藤さんからすれば、遊びというか……。結局、家族は捨てられないっていうか……」
都合の良いことを言ったつもりはなかったのだが、そう受け止めてはもらえなかった。
「なんで? 私が……。どうして溝口さんに言われなきゃいけないの?」
声こそ大きくなるのを抑えていたが、その瞳は大きく張っていた。
「いや、そうじゃなくって……」
「うちらの何を知ってるの?」
「そういうんじゃなくて……」
「何でも知ったような口きかれるの腹がたつ。だからエリートって嫌い」
夏奈恵は存分に不満を言ったかと思うと背を向けてしまった。悔し涙なのか、それとも寂しくて浮かんだのか、いずれにしても、さっきまで大きく張った瞳を隠していた。
そして沈黙。相模湾上空を優雅に羽ばたく鳥たちを追うだけでは間が持たず、タバコに火をつけた。するとため息まじりに大きく吐き出した煙が風に流され、夏奈恵の後ろ髪に直撃した。
「タバコくさい」
「あ、ごめん……」
「誰かを好きになるって面倒くさいよね。溝口さんの言う通りいつまでも続かないってわかっていたし。でも、そういうことをそのまま言われると、頭にくる時ってない?」
夏奈恵の視線の先に舞う海鳥に向けられたその言葉は、ずいぶんと素直な響きを伴った。
「私たち同じだね。失恋したばかりでしょ? さみしん坊同士」
振り返った夏奈恵が視線を少し下から投げてきた。睫毛が僅かに濡れていた。
「そういう括り方嫌だな」
「でも同じでしょ?」
夏奈恵は白い歯を見せたが、そこには佐藤さんへの想いが隅々まで詰め込まれていた。
1-16へつづく
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