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【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-12

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私のこと、やっぱり可哀想だと思う?

 

 夏奈恵とのキスに、ゴールは見えなかった。

 

「ごめん、トイレ……」


 私は自ら唇を浮かせると、立ち上がりトイレに向かった。しかし、トイレに座っても尿意なんてないわけで、ため息を繰り返し、ずいぶんと時間がかかってしまった。

 やっとの思いでトイレを出ると、夏奈恵は起き上がって、ちゃぶ台の上の冷めたコーヒーをすすっていた。


 「やっぱりいれなおすね」


 それまでのことはなかったようなさっぱりとした笑顔で、夏奈恵は私とすれ違いにキッチンに立った。私は何も言えず畳の上にあぐらをかくと、細いため息をまた繰り返した。


 「溝口さん、やっぱりいい人ね」


 「そう、かな?」


 「うん。だから人の家のトイレにこもって、ため息ばっかりつかないでよ」


 薄い扉を1枚挟んで、私のため息はすべて夏奈恵の耳に届いていたのだ。赤面だ。 


 「ごめん……」


 振り返らない夏奈恵の背中、振り返らない微笑み。何が正しくて、何が間違っていたのか、この夜の正解はあったのだろうか。

 いれなおしたコーヒーを小さなちゃぶ台の上に置いた。湯気が僅かに揺れている。


 「私、嫌な女だよね」


 隣りではなく向かいで足を崩した夏奈恵は、うつむきながらつぶやいた。


 「ううん、オレのほうこそ」 


 「ねえ、聞いていい?」 


 「うん」


 「私のこと、やっぱり可哀想だと思う?」


 「え……思わないけどなんで?」


 「なんとなく。聞いてみただけ……」


 夏奈恵はそう言ってコーヒーに口をつけると、目にかかる髪をかきあげては、またコーヒーに口をつけた。


1-13へつづく
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