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アメフト部にイタリア人が入部してきた話

春それは新歓の季節。「人を入れないとヤバい」という上からのお達しを受け、当時アメフト部の新歓リーダーだった僕は日々忙しなく動いていた。

彼に気付いたのはイベントの最中だった。グラウンドの外からじっと僕たちをじっと見つめる、金髪ロングの外国人。留学生だろうか。「アメフトが珍しいだけだろう」と特に気をとめることなく、僕はイベントをこなした。


次の日も彼は来ていた。彼の表情からなんとなくやりたそうな雰囲気を感じ取った僕は、とりあえずキャッチボールをしようと彼にジェスチャーで促す。


パスっ


パスっ


キレイな弧を描きながら僕のもとにボールが届く。アメフトのボールは楕円形で重量もあるため、初心者はまっすぐ前に投げることすら難しい。

僕はつたない英語でアメフト経験があるかを彼に尋ねた。イタリアでアメフトをやってました、彼は片言の日本語で答えた。


それから彼はほぼ毎回のイベントに参加した。

5月が近づくにつれて入部を決める新入生も出始めた。新入生が入部を宣言する姿を彼は羨ましそうな表情で見ていた。その一方で、留学生が部活に入ってもいいのか迷っているようにも見えた。同じく部活を運営する僕たちも迷っていた。


「今まで留学生が入部したことはあるんですか?」そうキャプテンに問いかけると、過去に韓国出身の留学生が入部していたことを教えてくれた。彼との意思疎通が困難だったこともあり、正直留学生の入部に乗り気ではない。また彼らはシーズンが始まる9月前には帰国してしまう。ただでさえ手一杯なのに、彼にリソースを割けるかは微妙だと語った。


でも彼は結果的に入部した。彼の人懐っこい笑顔に、気づけば部員全員がほだされていた。流石イタリア出身だけのことはある。物おじすることなく片言の日本語でコミュニケーションを取る彼のことをみんな大好きになっていたのだ。



彼の名前はピエトロ。
僕は親しみを込めてピエティと呼んだ。


ピエティはユニークな男だった。彼は26歳で、日本に留学する前はスキーのインストラクターをしていたらしい。その証拠にと、彼は着ていた服をたくし上げた。左胸の下あたり、明朝体で書かれた「雪」という漢字のタトゥーがでかでかと存在していた。その主張の激しさに僕は思わず笑った。


また彼はジャスティンビーバーのことが嫌いだった。僕が『baby baby baby oh like~』と口ずさむと、本当にダサいからやめてと、露骨に不機嫌な表情になる。僕はそれが可笑しくて、ふざけて彼の前でジャスティンビーバーを歌ってからかった。


ピエティはよく部活をさぼった。遅刻も数え切れないほどした。初めの頃は「まだ日本の生活に慣れてないだろうし」と甘やかしていた僕たちも、それが10回を超えた辺りでしっかりと叱るようになった。

なぜさぼったの?と問いかけると、彼はしおらしい顔をし、いつもより片言の日本語で言い訳をした。彼が日本を去るころには「ゴメンなさい」の発音だけが、日本人と遜色がないほど上手になっていた。


彼は色男だったから、入学してすぐに日本人の彼女を作った。数か月後にはイタリアに帰るというのに。一体どうするのだろう。彼はあまり先のことを考えていないように見えた。でもそれはいい意味で。ありもしない未来を考えて、自分を自分で縛り付けてしまう僕なんかより、彼の方が全然いい。



誰よりも充実した日々を過ごす彼の姿に、僕は素敵だなと思う反面、「ずるいな」と少し思ってしまった。日本に来て好きなことを好きなだけ行い、イタリアに戻るピエティの自由さが、当時の僕にはまぶしく映った。


部活のあと、友達とこんなことがあったんだ、彼女と花火を見に行ったんだと楽しそうに話すピエティ。話を聞きながら「俺もイタリアに行ければな」とため息と共にふいに言葉がこぼれた。

日本語ネイティブだったら、僕のうつむいた表情、言葉の語気の弱さから行間を読みとり、それが希望ではなく諦めに似たニュアンスであること、羨望と皮肉が入り混じった言葉だと理解したことだろう。



でも彼はそのこぼれた言葉を丁寧にすくい上げた。



「いくらでも僕のウチに泊っていいよ。狭いけど泊まれる場所はあるから。どこに行こうか。逆にどこに行きたい?ヴェネチアはどう? とても素敵な場所だから、ぜひタケを案内したい」

真剣な表情で、たどたどしい日本語でそう話した。


彼の優しさに僕は自分の心の小ささが恥ずかしくなった。僕は「ありがとう、いつか行くよ」と返事をする。ピエティは無邪気な表情で頷いた。


彼はそれからほどなくして日本を去った。「数年後、絶対日本に戻ってくるから」ということばを残して。付き合って数か月で超超遠距離恋愛になる彼女に向かった発言のような気もしなくはなかったが、まあそれはそれでピエティらしい。


彼とはSNSで繋がっていたため、彼が日本を去ってからも時々メッセージのやり取りをした。帰国してしばらくの間、彼は日本を懐かしむ投稿をよくした。でも徐々にイタリアでの日常に変化し、僕は少し悲しくなった。しかし時が経つごとにその悲しみも風化して、1年後には彼のことを「ああそんな奴もいたな」と飲み会の話題でたまに出てくる程度に落ち着いた。


そこからさらに数年の月日が流れた今日。

僕は一人で温泉にいた。

湯舟に浸かっていると、温泉を走り回る無邪気な少年、それに手を焼いている父親の姿があった。少年は何らかのスポーツをしているのだろうか、全身いたるところに絆創膏が貼られている。胸の下に大きな湿布を張っていて、「どうすればそんなところをケガするんだ」と一人笑った。



その時、ピエティのことを久しぶりに思い出した。

彼と一緒に温泉に行ったときのこと。タトゥーと刺青は入浴不可という張り紙を見た彼が、胸にある「雪」のタトゥーを隠そうと、あいつもバカでかい湿布を張ってたっけ。

明らかに違和感があるのに、ちょびっと下の「ヨ」みたいなところがはみ出ているのに、満足げにピースするピエティ。数年前の記憶が、鮮やかな情景と共に浮き上がる。


彼はいま何をしているだろう。露天風呂で整いながら、ピエティをもう一度思い出す。「数年後、絶対日本に帰ってくるから」って言ったくせに。全然日本に帰ってこないな。まあ俺も「いつか行く」って言ったのに行ってないのは同じか。

当時はイタリアなんかいつでも行けると思っていた。少なくないお金を出して、十数時間のフライトに耐えさえすれば、イタリアの土地を踏めると、そう思っていた。まさか目に見えないウイルスによって海外に行くという選択肢さえ無くなるなんて。



会ったらなんて言おうか。「全然日本に帰ってこないじゃん!」と軽口を叩いてもいい。彼の口からあの流ちょうな「ゴメンなさい」を聞けることを、どこか楽しみにしている自分がいる。

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