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春の始まり。僕の心は忙しい。

風が木立を揺らす。春一番という言葉が頭をよぎる。エクセルシオールカフェ。ホットじゃなくてアイスの方がよかったかな。季節がめぐる。

noteをやっていて気づいたことがある。
どうやら僕は、「自分」のことを褒めたり、自分を盛り上げようとすることが多いようだ。特に意識しているわけでなく、気づけばそのような言葉を選んでいる。

自分のことが好きだから、というのも少なからずあると思うけど、それ以上の別の理由があるのだと思う。僕は自分の機嫌を気にしているらしい。
経験上知っているのだ。機嫌を取らないとnoteに飽きてしまうということに。三日坊主注意報。

だから、僕は自分の機嫌を取っているのだと思う。

最近学んだ「ゲーミフィケーション」という考えでは、「称賛の演出」というのが重要らしい。
このnoteにもバッジ機能や継続した際にポップアップが出る。そういった称賛がモチベーションになったりする。
それと同じように、自ら僕は僕のことを称賛する。セルフゲーミフィケーション。

人格が複数ある、ともいえるかもしれない。社長の自分と宴会部長の自分、みたいな。社長の機嫌を取るのに必死なのだ。
お、なんだなんだ。批評家の自分が出てきたぞ。「こんな記事書いて何か意味はあるのか」と詰めてきた。確かに読み返してみると、「で?」ていう内容。うーん。

ーーいい時間になってきた。席を立って駅へと向かう。


そして、こんな文章になった。

批評家に対抗するように、情景描写をいれてみたけど、どうだろうか。
その結果は読んでみた通りだ。「よくなった」と僕の中の宴会部長が太鼓を打ち鳴らす。あいつは優しいやつだ。
それならまた続けようかと、社長の僕は頷いている。社長は案外単純だ。
あ、批評家、出てくるな。誰かこいつを心の奥底に閉じ込めろー。これはこれでいいんだよ。アウトプットしてることが大事なんだよー。


春。僕の心は忙しい。

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