見出し画像

Twitter投稿から「生きててよかった」を分析してみた

「生きててよかった」というのは、どんなときに感じるんですかね? みなさん、どうですか?

僕が考え中の「ポジティブ因果律」(こう書くとすごく怪しい笑)では、「生きててよかった」と感じるのがどういうときかは、非常に重要なこと。なので、n数を増やして考えていきたい。(n数ていう言い方格好いいよね)

「ポジティブ因果律」については、ページ下部のリンク参照。

Twitterで検索したらたくさん出てきた。
みんな「生きててよかった」と感じてるみたい。とてもいいこと。
Twitterという性質上か、推し関連が多く出てきたのはご愛嬌。

◆絵が売れて生きててよかった事例

こちらは自身の描いた絵が初めて売れた、という感動的な「生きててよかった」。

  • 絵を描き続けた努力が身を結んだ

  • 自身の価値が認められた

これらが要素としていえそう。もしかしたら、これまで「絵が売れないで苦労した経験」をしていたのかもしれない。

◆推しに会える嬉しさで生きててよかった事例

推し(好きな人)に会える喜びの「生きててよかった」。

  • 普段会えない、推し(好きな人)についに会える

  • その推しを知らない人からすると大袈裟に聞こえるだろうことも、彼女にとっては紛れもなく「生きててよかった」と感じる経験。「生きててよかった」は主観的。

これらが要素として言えそう。ちなみに僕は最近「推し」が見つかって、気持ちはすごくよくわかる。

◆おいしいもの食べて生きててよかった事例

これは、僕が以前あげたラーメン食べての生きててよかったを考察したけれど、「食事」は生きててよかったという感情に繋がりやすいのかもしれない。
おいしいものでお腹が満たされるというのは何よりの体験。


事例に触れていって改めて感じたのは、「生きててよかった」というのは、嬉しいや楽しいといったポジティブな感情の限界突破表現なのかなと。

少しまとめてみよう。
これまでの「生きててよかった」をみると、
好きなもの・好きな人が関わってくることが多いというのが発見。
他にも、苦労や我慢といったマイナスの状態からいい結果に繋がることも、「生きててよかった」に繋がりやすそう。
感覚的には、五感に関することも重要だと思ってる。

何となく、「生きててよかった」と感じるときがどういうときか見えてきた気がする。
次は、そこに至るまでにどんな行動が必要かを考えていこう。
たとえば「好きなもの」を見つけるにはどうすればいいのか、といったことを考えていきたい。

なんか研究のようで楽しいな。学生に戻った気分だな。
継続できている自分にも拍手。


「ポジティブ因果律」についてはこちらの記事。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?