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人生は金太郎飴ではない

どうにもだ。こうにもだ。どうにもこうにもだ。
どうにもこうにも、前回の記事の「出来」が納得いっていない。
もっといい文章が書けたのではと、そんなことを考えてしまう。

日曜日は楽しい一日だった。
「おかえりなさい」と言ってくれた店員。
多種多様なナッツの詰め合わせができるお店。
外観がひどいカプセルホテルの中にあるおいしいラーメン屋。
様々な楽しいことがあった。それなのに、服のセンスを磨きたいという部分を切り取ってしまった自分。ワイ?ワイジャパニーズピープル?

その前回の記事がこちら。ふむー。

そんな反省をしていてふと気づく。いい文章というのは、切り口が大事なのかもしれない。
最近日常系の記事を書くことが多いんだけど、日常のどこを切り取るかは、もちろん、僕次第だ。何を題材にするかは、僕がどう世界を見ているかということにもつながる。その切り取り方に、個性が出るし、いい文章というものにもつながるのかもしれない。そうか、それが着眼点、というやつか。

折角だから「いい文章」を書きたいなという思いは人並みにある。その際に僕が意識していることは、内容よりも文体だったりする。別の言い方をすれば、「リズム」だ。ちょっと軽めのアップテンポ。そんなリズムある文体で書こうと意識している。
ただ文体だけでなくて、内容も「いい文章」には重要のようだ。その内容というものは、特別な体験、などもあるかもしれないが、それ以上に、「世界の切り取り方」が重要なのかもしれない。
「人生は金太郎飴ではない」ということだ。この言葉。いまふっと落ちてきた。僕が思いついた名言風の言葉。「人生は金太郎飴ではない」。それは一日をとってもそうで、どこを切るかによって様々な表情を持つ。
どこを切るかが腕の見せ所、というやつだ。そしてその切り方に、結構個性が出るのだと思う。思えば、俳句や短歌はそんな世界な気がする。

そういう「切り取り方」について意識したことも努力したこともなかったな。そういう視点で世界を見ていくと、また違う世界が見えてくるかもしれない。

はて、何を目指しているのやら。上を目指すと見える景色が変わってくると信じて、楽しんでやっていこう。

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