”次の「火のないところにフェミが放火する案件」京都市営地下鉄戦というまとめ”が気に入らない件
叩かれたから叩き返したんだ。
子供の時のボクは、親に怒られながらよくそう訴えていました。
個人的な経験から、なんでもかんでも叩き返してばかりいては、小学生の時のボクのように周りを敵だらけにしてしまいますからおすすめしません。
それからちゃんと話を聞いてくれるフェミニズムの人もいますから、まずフェミ=アンチオタクとひとくくりにしてタコ殴りにするのは、ボクたちの文化を守るためにも、とりあえずやめませんか?
オタク=攻撃的だという状況を作り出してしまっているのは、脊髄反射をしてしまうボクたち自身です。
水掛け論にしかなりませんし、状況は改善しません。
エロマンガが実際の犯罪を抑止している論も危険です。
エロマンガを無くしたらいままで抑えられていた潜在的犯罪者が犯罪を起こすぞ!と、男たち自身が「我々は欲望を制御出来ない生物だ」と宣言しちゃってます。
なによりもその問題にあまり関心がなかった「無党派層」の取りこぼしをしてしまっている可能性もあります。
それから、こう言えばこう反論してくるに決まってるからと、からかい半分に問題を投げかけるのもやめましょう。
例えば自称ネトウヨで田母神氏を支持したように見せかけて、いろんな人に絡みまくり人々を釣った挙句名誉毀損で訴えられて1500万円の賠償請求された人。
あの人なんかは、それが面白くてたまらないのです。
「芸能人やタレント、マスコミ関係者、政治家、顔晒してる仕事の人がネットでちょっと書き込みされたくらいで……という気持ちはあります。言いたいことがいえない社会って息苦しいですね」
この人の言いたいことって、ただからかいたいだけなんです。
「どうせ分かってくれないじゃないか」と悲観的な気持ちになるのは分かりますが、声が大きい人を利用する人がいるのは今も昔も変わりません。
オタク側も冷静にならないと、そういう人たちのネガテイブキャンペーンに利用されてしまうんです。
誰にも迷惑をかけてないよ、こちらは差別されている被害者だと言っても。その発言が悲鳴的で尖っていればいるほど「火に油を注ぎたい人」の美味しい餌になってしまうこともあるのです。
実際に差別を受けている人たちに加担をしたとたん「プロ市民」とか「人権の臭いがする」という称号を授けてくれようとする人までいるのです。
「火のないところにフェミが放火する案件」京都市営地下鉄戦」は、togetterで、主にお二人の発言をまとめられたものですが、まず発言主のみなさん。PVに利用されてますよ。
ネットメディアの多くは予算が少なく、炎上待ちです。
恣意的に編集されレッテルを貼られ匿名アカウントに絡まれ痛くもない腹を探られ…労多くして実り少ない…いやそれこそが自分の使命だとか責任だという自覚のある人はどうぞ!
クーコさんが、おっしゃることは、全面的にではありませんがボクも何となく分かるんです。
奥の擬人化された車輌のキャラクター「都くん」もアウトだと言いたいというのは、たぶんデキが悪いという意味でしょう。「チャギントン」や「きかんしゃトーマス」の亜流…でもないか。わりと定番でおもしろみのないゆるキャラですもんね。
「経営難の京都市営地下鉄 女子高生キャラで改善なるか?」という記事の結び「女子高生には荷が重い気もするが、萌たち(キャラの名前)には地下鉄の救世主として活躍してほしい。」に、交通局は先にやることがあるだろうと嫌味を言いたくなる気持ちはわかります。
ボクとしては太秦萌ちゃんたちの活躍により生み出されたお金がどこかでごっちゃにならず、上りエスカレーターやエレベーターの設置等バリアフリー化に優先的に寄与できるのなら「燃え燃えチャレンジ班」も、頑張った甲斐を感じられるのではないかと職業柄期待します
「燃え燃えキャンペーン班」のインタビューもtogetterまとめにリンクされていますが、読まれないかもしれないのでここからもリンクを張っておきます。
「京都の地下鉄キャラクター「太秦萌」はなぜ“進化”した? デザイン会社と交通局に聞く制作秘話」
これを読む限りは、「予算がないので」という若干ブラックめいたところはさておいて、とても慎重に検討されていて、むしろ実在女性を扱う以上に気を遣われているように感じます。好感を持たれるように、スカートの丈まで。ファッショナブルな女性は、同性からの好感度も高い傾向にありますしね。
なぜ女性キャラが全面に立つのか?
という疑問もあるでしょう。
とりあえず鉄道を好むファンにはいまのところ男性が多いので、まず彼らに関心を持ってもらうため、と考えるのはいけないことでしょうか?
もちろん京都に縁のあるタレントさんを起用する案もあったとは思います。
でも予算もかかるし、ちょっとありきたりです。インパクトを与えられない可能性も高いし、何年も継続して起用するのが難しいんです。タレントさんの生き残り戦略的にもイメージを変えていかないといかないし。
細川ふみえさんがバスロマンのCMに長いこと起用されていたことがありましたが、いまは多分ああいうコンセプトのCMも流せないでしょうね。
昔はOKだったものが今はダメになり、昔はダメだったものが今はOKになる。
そういう意味では、昔はダメだったマンガやアニメの絵が、公共広告や自治体とのコラボが出来る時代になったといえば言えるのです。
そういうこともあって、マンガやアニメのキャラクターが広告などに起用されるケースが増えてきたような気もします。
悪さしませんし。(原作者のトラブルは…別問題として)
もちろん、今回怒っている人たち全員がその変化に対応できてない時代遅れな人たちなんだよ!とか言うつもりは毛頭ありませんよ。
男のボクから見ても、どんなに可愛く描いても「女の子+牛の搾乳体験」という組み合わせをしたら、もうその感性は昭和のオッサンです。さすがに時代遅れだろうというアウト判定します。
それから外見の美醜で異性を「採用」していいのか問題。
ボクらの職業上でも発生します。
「女の子の絵を描いて」と言われたら、どう描くかという問題です。
なるべく可愛く描きたいのマンガ家やアニメーターです。わざわざブサイクに描くには理由があります。
少女漫画でも「わたし全然キレイじゃないし…」って言ってる主人公は、作品上では一番可愛く描かれることがほとんどです。
昔は「メガネ」というアイテムで可愛さを隠すという回避方法がありましたが、「メガネ美人」なるフェチの台頭によって「メガネ=ブス」という手法は消滅しました。
またボクは女性の似顔絵をあまり描かないようにしています。
似顔絵は顔の特徴をデフォルメするので、そのパーツや組み合わせがその人のコンプレックスだった場合「私ってこんなふうに見られているんだ」と落ち込んだり怒られたりガッカリされたりするからです。
やむにやまれず描くときは、可愛く描きます。似てようが似ていまいが構いません。女性の外見的特徴を盛るかどうかは慎重に検討します。
中身男なんでそういう配慮は要らんですよという豪快さんには、なかなか巡り会えないものです。
tomomi智美さんの
「オンナノコをお飾りに使う文化は、若い女性をディスカレッジする社会を作る。」
最初ディスカレッジの意味がわからなくて、調べました。
ディスカレッジというのは「やる気の失せる」とかそういう意味で合ってますか?
「オンナノコをお飾りにしか使わない文化」なら、それはボクも嫌だと思います。
英語で申し訳ないんですけど「Cheerleaders for the office? Chinese tech companies hiring 'pretty' women to motivate male employees by chatting, playing ping pong and buying them breakfast」
「オフィスのチアリーダー?中国のハイテク企業が男性社員のモチベーションを高めるために、会話を楽しんだりピンポンしたり朝食も買ってあげる’可愛い’女性を採用している」と、ボクは訳しました。
30年ほど前…バブルの時代までは「女性は職場の華」という発言は、あったはずです。不見識だった20歳のボクも言った覚えがあります、ごめんなさい。あの時のボクは間違ってました。
今の日本ではこの発言は通りません。
でも「お飾りになる」仕事もありますし、目指してなることもまた簡単ではありません。
選抜されなければならないからです。
公平なチャレンジの機会があり、認められ選抜されたらいい暮らしができる社会というのは、ある程度健全なのではないでしょうか?
AV女優や風俗嬢になるのだって、決して簡単ではありません。面接で落とされることもあるのです。
マンガを描く技術があっても、エロ漫画家になれるとは限りません。
自分の性衝動やなんかを全開にする度胸は、自分で言うのも何ですがある種才能もしくは適性が必要です。
「女性の胸の描き方がわからない」とか「裸描くの恥ずかしいんだよね」とおっしゃるマンガ家さんもいっぱいいます。
女性のエロ漫画家さんたちもいっぱいいます。
アイドルちゃんや可愛い女の子の裸が大好きです。
BLもイケる守備範囲の広い人もいます。
男社会の文法や行動様式に乗ってるだけ、騙されてるだけというご意見も見られますが、マンガを描くってすごく時間がかかるんです。
一人で16枚でもいい、原稿を仕上げてご覧なさい。
それを描き続け発表したいという情熱はどこからくるのでしょう?
閉鎖空間にいないのに洗脳されている…果たして可能でしょうか?
選択の自由を、自分の都合に合わないから勝手に洗脳だとか騙されてるとか言われても…職業選択の自由あははん。
今回の件は、キャラクターのデフォルメも健康方向に向いているし、ちょっと「味噌も糞も一緒」にされた感もあるけど、どうもマンガの絵を使用するのは子供へ向けて行なわれるときに限り許され、公共の目的で使用するのは「大人として恥ずかしいから嫌だ」という感情に根ざしているもしくは、欧米に比べて遅れているとか、そんなふうに感じられているんじゃないかとも思えます。
過去に男性と女性が同等に扱われ出世もできるような社会がなかったわけではありませんが、それはとてもネガティブな環境で、戦争で男が減った結果です。
そういうときには自動的に女頭が設定されるものです。
ナチスドイツ時代、女性の社会進出は目覚ましかった。
実はその時期日本もイギリスもそうでした。
ソ連も、北朝鮮もしかり。
基本的に社会が貧乏だと女性も働かざるをえないんです。
でもそれはフェミニストが目指す真の女性の社会進出とは言いませんし、ボクも望みません。
そういう時に男が家事をサボって酒を呑むのが問題なんです。
男だから敵、女だから味方とは限りません。
俺たちは戦うべきじゃなかった、愛しあうべきだったんだ…!
なんて叩き潰した後に気がついても後の祭りです。
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