【仕立て屋の繕う日々】マリー・アントワネッ友
大人になったら、いつかお城から招待状が届いて、舞踏会にお招きされるに違いない。子どものころは真剣にそう思っていた。
わたしが育ったのは、西洋の城はおろか日本の城すらもない山のなかの田舎町だ。まわりには見渡す限り田んぼとりんご畑。踊りの会といえば集落の盆踊りくらい。それなのに、わたしはけっこう本気でそう思っていたのだ。
リカちゃん人形にドレスを着せながら、お姫さまのドレスの絵を描きながら、わたしは妄想を繰り返していた。どんなドレスにしようかしらと。
大きくなるにつれ、「そんなことはねえ」と気がつくことになる。昭和の田舎では、ドレスを夢見て生きていくことは不可能だ。横浜のおばさんから頂いたハイカラな赤いフレアスカートを小学校に履いて行ったら、当時の担任の中年女性教諭に「お嬢さまみたい」とイヤミを言われた。
それ以来、わたしはドレスも、招待状の夢も封印した。「コレハ他人ニハ言ッテハイケナイ」と言い聞かせた。
ずいぶん大人になって、かなり年下の、愛子ちゃんという友達ができた。友達というか、もともと愛子ちゃんはわたしの部下だった。今振り返ると、「上司と部下」としては理想的な関係ではなかったと思う。お互い、能力を発揮しやすい状況が異なっていた。わたしは「あなたのやり方で好きなようにやっていいよ」と言われたときがいちばん能力を発揮できるので、部下にもそう接していたのだが、みんながみんなそうではなかったのだ。
愛子ちゃんは、「大丈夫? 何か悩んでない?」と逐一気にかけてあげなければいけないタイプだった。わたしはそれに気づいてあげられなかった。リーダーとして失格だった。
会社を辞めて、フリーになってからのほうが愛子ちゃんと仲良くなった。なんといっても、愛子ちゃんも「大人になったら舞踏会からの招待状が届く」と思っていたのだ。心の友よ!(ジャイアン?)
それから、薔薇会と称してお茶会を開いては夢のようなお菓子をつくってもらったり、「プチトリアノン宮殿で過ごすマリー・アントワネットのようなマタニティドレス」をつくらせてもらったりした。
言うならばわたしたちは「マリー・アントワネッ友」だ。
先日も「近くまで行くのでお茶しませんか?」と誘ってもらって、なんだかんだ3時間くらいは喋っていたと思う。だいたいいつも夢見がちな妄想話だ。
幼いころのわたしに言いたい。失望するな。いつか仲間に出会えると。
▼愛子ちゃんは、こまどり菓園 という名前で、夢のように素敵なお菓子をつくっています。
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