ディープな日常の隙間

くだらない事をつらつらと。 更新はほそぼそと。 しかしながらやる気は満々です。

ディープな日常の隙間

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    最近の記事

    言葉と自分

    こんばんは。 お久しぶりの投稿です。 もそもそとブログを再開です。 ~~~~~~ 最近いろんな方からお悩み相談を受けます。 ご家族の事、ご友人の事、お仕事の事、それぞれの方がご自身の人生と向き合っていらっしゃるんだよなぁ~と感じつつも、お悩み相談を受ける度に、果たして自分はどうだろうか?とも考えさせられます。 人生すべてに意味があるなんて言葉をよく聞きますが、(このお悩みを受けたことにも意味があるのかも)なんて思って聴いていると、なんとなく自分のことにも当てはまるものだ

      • だるまさんが転んだ

        こんにちは、久しぶりのブログです。 台風が近づいており、外の天気は降るのか止むのかの曖昧さを残したような天気です。 ===== さて、今日は念願の「メメント・モリと写真ー死はなにを照らし出すのか」という写真展に行ってきました。 東京都写真美術館 (topmuseum.jp) 恵比寿駅から徒歩9分ほどです。 タイトルにあるメメント・モリとはラテン語で「死を想え」という意味です。死は必ず来るものだからこそ、今を楽しめというという意味でもあるようです。その後キリスト教による考

        • 8月10日は何の日?

          こんにちは、タケモトです。 皆様、8月10日が何の日かご存じでしょうか? 8月10日 今日は何の日~毎日が記念日~ (nnh.to) 帽子の日(ハット)、宿の日、焼き鳥の日、、、 とにかく言っておけばいい感が否めない記念日ですが、今日が記念日のカップルは帽子を被って、宿に泊まって、ディナーは焼き鳥がある居酒屋にでも行くのでしょうか? 8月10日を大いに満喫するデートコースですね。 ここで書いていてふと思ったのですが、この記念日を応用することで、デート時の店選びがとてつも

          • いつか伝えられなくなる「有難う」

            こんにちは、私です。 大学時代に、60歳娘さんと85歳お母様で経営していた喫茶店によく通っていました。 常連様はご高齢の方達ばかりで、皆さんがとても可愛がってくれました。 「なぜそんなカフェに?ドトールやスタバがあるじゃないか!」 わかります。そう思いますよね。 ちなみに内装は綺麗ではなく(むしろ汚い方)、飲み物もコーヒーや紅茶のみ。特段こだわっているわけではないのです。 カウンター席と、テーブル席2つ。 カウンターにはテレビがあって、いつもみんなで1つの番組を

            こだわらないこだわり

            こんばんは、私です。 「こだわらないこだわり」って面白いなって思った今日です。 人間にもモノにも、こだわると執着になる。 けれども、こだわらないようにすることにこだわると、それも執着の1種になるかもしれないという。 私はある意味こだわっているのかもしれないです。 なんて、そんな夜です。 では、さいなら~

            人間は忘れる生き物

            ==== こんにちは、私です。 以前、「人間は忘れることができるからこそ幸せな生き物だ」ということを聞いたことがあります。 嫌なことはすぐに忘れて、幸せなことはずっと覚えていられたら幸せなのに、なんて思います。 しかしながら人間は、嫌なことは必要以上に覚えていて、幸せなことは当たり前のように扱ってしまうから、なんとも面白いものです。 まぁ、嫌なことも良いことも、固執しないのが一番なのでしょうか。 そんなことを言いつつも一つだけ心残りなのは、亡くなった家族の声が段々

            神様に媚びる

            こんにちは、こんばんは。 私です。 定型的な挨拶を作りたくて、「私です。」を入れるようになりました。 さて、皆さん八百万の神って信じますか? どんな所や物にも神様がいる的な考え方ですが、信じる信じないに関わらず、私的には素敵な考え方だと思います。 ミニマリストではないのですが、あまり物を持つことが好きではありません。 次から次へと購入するとお金がかかるからというのもありますが、服でもなんでも、大切にできるものだけで埋めたいという気持ちが大きいです。 「最近この服

            緊張しない方法について考える

            おはようございます。 私です。 さて、緊張しない方法って皆さんどんなことを思い浮かべますか? 深呼吸? 「大丈夫、大丈夫」って言い聞かせる? まぁ色々ありますが、手のひらに人って字を書いて飲み込むと、緊張しなくなるって聞きますよね。 手のひらの中心には心を落ち着かせる労宮というツボがあって、人という文字を書くことでそのツボを刺激し、緊張を和らげることができるらしいです!(他にも諸説あり) ちなみに、私は手をつねります(笑)痛みが先行して、緊張に意識がいかなくなる

            10回生きた証です

            こんにちは。 私です。 10回目の投稿です。 こんなぐーたら人生を歩んできた私でも、人生のうちに10回も続けられる物事があるということを知り、なんだか嬉しくなりました。 昨日落ち葉の上を歩いていると、あることに気が付きました。 落ち葉を踏むたびになる音。シャクシャク。シャクシャク。 「この音はどこかで聞いたことあるなぁ、、」なんて考えていたら、思い出しました。そう、リンゴを食べる時の口の中の音です。 リンゴを嚙むたびに鳴る音が、落ち葉を踏むたびに鳴っている。

            深夜のスパイス

            こんばんは。 夜食について、今日は皆さんとお話したいと思います。 夜食。あの美味しさってなんなのでしょう。 深夜に食べるカップ麺。罪悪感が生み出す産物として、相反する感情の幸福感が生まれるあの感覚。何とも言えない感覚。 そこで私は考えた。レストランの各テーブルにある調味料置き場に、あの「夜食」と書かれたスパイスを置いてみたらどうか。 ラベルに書かれている「夜食」の文字。 まずは1振り。沸き起こる罪悪感。 そして2振り。次第に薄れていく罪悪感。 最後に3振り。徐

            思うことは生きること

            月日が流れるのは早いもので、家族が亡くなって4年が経ちました。 早いなぁと思いつつ、うまく言えない「慣れ」のような感覚があることに違和感を感じます。また、「死」がその本人のものだけだとしたら、私たちが知っているのは「亡くなった」という事実のみである気がするとも感じます。 実際に家族の死を通して、死ぬことはどういうことかを知ったわけではなくて。亡くなったという事実を介して、周りがどう変化していくのかを感じた・知ったというのが、しっくりとくる表現な気がしました。 「あの人は

            人類の皆さん、こんにちは

            ということで、おはようございます。 一昨日、DNAに関して少し違えばチンパンジーだという記事をあげました。 そこで私は考えた。「チンパンジーと人間の差異は分かったけれど、なぜ人間ってこんなにも個性が出るんだ、、、むしろ、個性が出るのは遺伝子変化だとして、じゃあ個性を大前提とした平均とはなんぞや」と。 女性/男性の平均的な顔ってあるじゃないですか? あれって限定された母体数での結果になっている気がして、平均的な顔って言われるとすごく違和感を感じます。 そこで私は考えた

            少し違えばチンパンジー

            こんにちは! 「チンパンジーと人間は99%同じ」という記事をどこかでよんだなぁとぼんやり。 (ん?99%同じって、、、あと1%の違いは何やねん。) なんて、エセ関西弁を言いながら気になって調べてみました。 調べてみたところ、ヒト加速領域1(HAR1:Human Accelated Region 1)がキーポイントになっているとのこと。 このHAR1は脳の健康な皮質を形成しており、もしHAR1が異常を起こすと、脳にしわが出来なくなる滑脳症を引き起こし、統合失調症などを

            秋ですね。秋ですよ。

            こんにちは! 1つのことに熱中すると、そればかりになってしまう不器用な性格で、1つ動画にハマるとそれをループして1日ずっと聞いていたり。バナナマンにハマった時は、もう1日日村のことが頭から離れませんでした(笑) そんな私は最近、養老孟司さんにどっぷりハマっております。 そんな養老さんがインタビューで、「虫を研究していてどんな意味があるんですか?と聞かれるけれど、じゃあお前の人生にどんな意味があるんだ」と一言。 もうね、私の心の中ではエレクトリカルパレードが流れて、ミッ

            分かるってなんだろう

            「私はあの人のことよくわかるから!」 という言葉。 この言葉を耳にする度に、どこかに時限爆弾がついているような、いつかその【わかった気】が爆発をして何か起こるのではないか、そんな気がします。 自分自身接客業を通して、相手をわかることほど難しいことはないと感じる毎日です。 そもそも、人生において何かを100%わかる・理解することな存在するのでしょうか? 【分かる】を辞書で調べてみると、【事実などがはっきりする。判明する。意味や区別などがはっきりする】とのこと。 この意味から

            我思う、ゆえに我あり

            こんにちは。タケモトです。 どうやらブログ書く時間が大好きなようで、恋しくなり更新です。 最近は死後について考えるのですが、死んだら何が残るのでしょうか? 私という肉体は消えるのですが、誰かの心や記憶の中にはその人にとっての私が残る。 デカルトの「我思う、故に我あり」を思うと、その我がいない時に残っている記憶の我とは果たして何ものなのでしょうか? 不思議。 とまあ、こんなことを考えながらドビュッシーの月の光を聴いております。 クラシックって歌詞がないからこそ、固定概念