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編集業務における「短期記憶」のハナシ

これは編集というよりも校正作業かもしれないのですが。

編集業務の中で大きな時間を締める、原稿を読むという作業。この時に、「ですます調」と「だである調」が混ざっていたり、誤字・脱字があったり、漢字やカナの使い方がバラバラになっている表記揺れなんかをチェックするわけです。

この間違い探しのような作業は、人によってかなり精度に差があります。それこそクイズやパズルの得意不得意と似ている気がする。

原則として、ひとつの原稿の中で表現がバラバラなのはNGです。それは誰もがなんとなく体感しているでしょう。

新聞にせよ、雑誌にせよ、ウェブ記事にせよ、読んでいて「気持ち悪い」と感じさせてしまったら基本アウトですからね。

ただ、しっかり読んでいるはずなのに一つだけ毎回見落としてしまう、という人が結構います。これは癖みたいなもので、その人の能力とは直接関わりはないものです。風景画の中に文字が隠れているのを見つけられるかどうか、みたいな能力で、言われれば「ああ」と以降は見つけられるようになるようなイメージ(ただ、文字は絵よりも認識しやすいので難易度はかなり低いはずですが)。

この作業の難しさは、正しい言葉を頭の中に入れた状態で読み進めないと、間違いが何かにも気づけないということ。

例えば、この文章をここまで読み進めてきて、実は表記揺れが1カ所あったことに気づいたでしょうか?














……

そうです、正解は「ひとつ」と「一つ」。

他愛もないものだし、そんなにこだわらなくてもいいですが、気づく人は気づき、気づかない人はほんとうに気づきません。でも、それを整えるのが「校正」であり、最終的に記事を公開なり出版なりする「編集者」の役割です。

この、どのような表現を「正しい」と定義するかは、新聞社や出版社によって異なり、一律の正解はありません(厳密には、学習指導要領に沿った学年別使用漢字のようなものはありますが)。不正解として、差別用語などはありますが。

ただし、そのメディアなりの中での正解はあります。正解というよりも「取り決め」ですね。「ひとつ」と「一つ」と「1つ」のどれを使うか、「行う」と「行なう」はどっちを使うかといったものです。

この「正解」が頭に入ったままで文章を読める人と、いつも目の前の原稿だけを見ている人と、大きく2パターンに分かれます。気付ける人は嫌ってくらい気になってしまう。もはや気持ち悪いレベルです。絶対音感があるせいですべての音に音階が見えてしまうのと似てるかも。

では、気付けない人はどうやったら気付けるようになるのか。実は簡単です。

前者が無意識で気づけるのに対し、後者は意識すれば気付けます。その分大変ではありますが、努力さえすれば必ず見えるようになる。そして、いつか無意識に見えてきます。それでも漏れてしまうことはある。だからこそ、専門の校正さんが重要だったりもします(さすがにもうAIになっていくでしょうが…)。

文字校正は、校正の基礎であり到達点です。英語にも中国語にもない、かなと漢字を持つ日本特有の技能。編集者として軽んじることなく、身につけていきたいですね。



※後半にも表記揺れがあります。気付きましたか?


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