阿呆な自分で飲まないという狂気に向き合う - 『しらふで生きる』を読んで
酒飲みにとって、【飲まない】とは闘いである。
お酒は楽しい。
2-3人の友人と深く話し込んだ日も、
友人と近況の交換と昔話に花を咲かし飲んだ日も、
1人で飲んで周りのハジメマシテさん達と場を楽しんだ日も、
1人で様々な思考を駆け巡らせつつ時間に浸った日も、
動画をおともに頭を空っぽにして時間に身をゆだねた日も。
それぞれにそれぞれの楽しさがあり、幸せを感じ「また頑張ろう」と思う。
ただ、与えられた楽しさには毒がある。
町田康 著
『しらふで生きる』
(2019年 第一刷)
幸せを追求することは自由である。
酒飲みにとっての“酒”は幸せへのファストパスであろう。
では、果たして【幸せに生きる権利】は自分にどの程度あるのか?
まず幸せとはあくまでも主観的な感覚である。
不幸と普通の傍らに現れるものが幸せである。
自分にほどよい「普通」を感じ、たまの「不幸」を想うからこその「幸せ」である。
それぞれを低く見積もるべきではないが、高く見積もりすぎると苦しい。
先行投資とばかりに負債を抱えて、その場で張っても身の丈を超えた分を回収できなければ負債は肥大する。
気を張っていないと善い振る舞いが出来ない程度の人間であると自覚し、
自分は普通以下の阿呆であると念書し、背筋を伸ばす。
酒に依存することなく、酒以外の外的な依存に犯されることなく、楽しさを見つけていくことを一歩ずつ。
暗闇で光を放つ宝珠を見つけ、楽しみを感じるか。
関心を払わず酒を飲み心地よく感慨にふけるか。
宝珠を見つけることができるようになるには修練が必要である。
酒は幸せのファストパスである。
どちらが好ましいかというあくまで自分の主観にたって、考えればよい。
禁酒の勧めではなく、酒を断ったことに伴う思考の滑走に触れ、自分を想うきっかけとなる一冊。
※イラストはChat-GPT / DALL-Eにて生成
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