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多様性とはなんなのか 社会圧が生み出す地獄

「べき論」という言葉をご存知だろうか?

義務を果たすこと、理想を実現しなければならないことなどを強く主張する論調。

デジタル大辞泉

〇〇であるべきだ。

〇〇するべきだ。

など言われると少しムカっとするものがこれにあたる。

令和の日本では悪しきものとして捉えられていることが多い。

このべき論には様々な方向性がある。

個人から個人へ向けてのべき論

職場の上司からの、学校の教師からの、親からのべき論などがこれに当たる。

令和の時代においては「強制」と解釈されることが多く、いわゆるパワハラになってしまい、言うこと自体が悪とされがちになっている。

自分から自分へ向けてのべき論

このパターンには作用の仕方が2つ存在する。

自分はもっと頑張るべきだ。
自分で決めたことなのだから最後までやりぬくべきだ。

プラスに働けば決意や原動力の源になる。

しかしマイナスに働くと周囲からの圧力として作用することになる。
これは生きづらさや窮屈感の原因になる。

社会から個人へ向けてのべき論

女性は30までに子供を産むべき。
男なら食事を奢るべき。

などと言った社会全体の風潮というか見えない社会(他者)からの視線を感じるようなべき論だ。

これもまた生きづらさや窮屈感の原因になる。

令和の多様性に疑問符

令和になった日本ではべき論を言えば犯罪者まではいかないものの、それに近しい扱いを受け、周囲からは疎外されていく可能性が高い。

これには「多様性」という言葉の流行が強く影響している。

昭和では当然のように、平成ではやや抵抗はあるものの「べき論」というのは受け入れられてきた。

それゆえに生き易くなる人もいれば生き難くなる人もいた。

べき論があったから救われた人たち

べき論にはは考える余地なく行動を促す作用がある。

例えば女なら30までに結婚・出産するべき論

社会的にこれが常識だった頃は自由恋愛で相手が見つからなければお見合いで結婚をしていた。

常識ゆえに30までに結婚・出産すれば幸せになれると信じる女性が大半だったからだ。

しかし、このべき論が常識となくなった今ではそうはいかない。

憶測だが常識だった頃と今ではお見合い結婚の割合は減っているはずだ。

調べてみると内閣府男女共同参画局のサイトに次のようなデータが見つかった。

やはり憶測通りだった。

恋愛結婚が増えたということは自由に相手を選んで結婚できるということだから良いことだ。

そんな意見が聞こえてきそうだが、それは良い面だけしか見えていないから言える意見だ。

物事には必ずニ面性がある。

モテる人間は恋愛結婚になれば相手を選ぶ自由の幅が広がる。

しかし非モテ側の人間からすればお見合いで会えたかもしれない相手がどんどん減っていることになるし、そもそもお見合い自体の機会も減っている。

結婚の確率が格段に下がってしまうのだ。

自由になるとは自由競争、つまり弱肉強食になるのとさほど変わらない。

お見合いというやや強制的な環境があったからこそ結婚できた非モテ側の人間。

彼らはべき論があったから救われていたのかもしれない。

これが直接的な原因かは定かではないが、お見合い結婚割合が低下し始める1950年頃から日本の出生率は急激に下がっている。

厚生労働省より引用

代わりに政府は女性の社会進出にともなう新たな労働力と労働の対価に対する課税(所得税)の増収というものを手に入れていることは忘れてはいけない。

女性の社会進出というのは聞こえは良いが、それを促す側の魂胆を考えると労働力の確保と税の増収が真っ先に浮かんでくる。(今回はテーマから外れるのでこれについてはこれ以上は書かない)

多様性と聞くと互いを認め合う、みんな仲良く、みんなが幸せになどのイメージをもつかもしれないがこれは絶対に不可能だ。

多様性によって幸せになれる人もいれば、そうでない人も必ず存在する。

そもそも多様性を強制している社会に強い疑問と矛盾を感じずにはいられない。

多様性を実現したいなら他者には強制干渉せず、放任しておけばいいだけの話だ。

ヴィーガンがいい例だ。

野菜生活したいのであれば自由にやっていればいい、奴らの一部が過激に他者へ強要するから煙たがれるのだ。

多様性によって被害を被るのは能力のある人間

長時間労働という言葉を聞いてどんなイメージを持つだろうか。

令和の日本では長時間労働は悪や効率の悪さをイメージさせる言葉だ。

ここで言葉を分解して少し考えてみたい。

労働力とはその個人が持つ能力、働く力だ。

例えば集中力や共感力などの能力と同じ括りで考えると、長時間労働はその個人が能力発揮できる時間が長いという解釈になる。

能力なので個人差があり、長時間労働ができない人、やりたくない人がいて、長時間労働ができる人、やりたい人もいるはずだ。

仕事の効率が悪いから結果的に長時間労働になっているという意見も耳にするが、効率良く仕事ができる人があえて長時間労働している可能性もある。

ゆえに一括りに長時間労働=悪という論調(社会圧)には全くもって賛同できない。

ぼくのような個人で仕事をしている人間には「いまは寝ずに完了させたい仕事があるんだ」という時が必ずある。

それを社会圧でもって強制労働不可状態などにされたらいい迷惑だ。

頼むから構わないでほしいと心の底から思う。


おそらく日本はあまり物的資源に恵まれていない国だ。

そんな日本の1番重要な資源は「日本人」だ。

海外の方の意見を聞いた上で日本人は類を見ない勤勉性を遺伝子レベルでもっていると考えている。

推測ではあるが日本人は世界の中でもトップレベルで長時間労働ができる能力をもっている。

世界の多様性という流行におどらされ、長時間労働が容易にできる能力のある個人を社会圧で潰さないでいただきたい。

多様性という社会圧がもたらず地獄

申し訳ないがここから先は有料とさせていただきたい。
自らnoteを書いておきながらあれなのだが少々尖った意見を書いているので人によっては不快な気分になる可能性もある。

それを承知した人だけが先へ進んでいただければと思う。

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