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メディアと僕のはじまり

「今日はこんな場所を取材してきてな。こんな話を聞いたんだよ」

小さいころから会話が絶えない家だった。父親が地方局でテレビの仕事をしていたからだ。土日も家にあまり帰ってこない父親だったが、夜帰ってくるとやけに楽しそうに話をしていた。

「今日はこんなところに行ってな」「今日はこんな人に会ってな」

こんな話を毎日聞いていたから、僕がメディア好きになったのは必然だった。家の外では日々新しい何かが起きている。それを見つけたり、誰かに話したり、それが仕事になるのであれば楽しく生きられると思った。

中学生になるとピアノ、高校生になるとギターを始めた。勉強は得意ではなかったが、何かを表現するのは好きだった。The pillowsが好きでコピーバンドをやっていた。大学のころの将来像は「インディーズデビューして、音楽の夢を諦めて普通のサラリーマンになる」だった。我ながら平凡で笑えてくる。

大学になると広告制作にはまり、音楽の夢はいつのまにか忘れていた。ギターも歌も、自分より凄いひとをみても悔しくなかった。むしろ「こんな凄いやつらが知られていないなんてもったいない」と思った。

「今日聞いたこんな音楽がすごく良かった」「今日聞いた話が面白くてさ」

自分は何かを生み出すことはできないが、誰かに情報を伝える仕事は向いていると思った。そして2013年、僕はニュースサイトの編集記者として社会人になった。

毎日、新しい情報を記事にして届けるのは面白かった。でも、やはり自分で何かをつくるよりも「誰かが何かをつくることを支える」ことが得意だと思った。

「Webメディアはなかなか儲からない。だけど良いコンテンツをつくるのにはお金が必要だ。コンテンツとビジネスの間をつなぐことで、面白いコンテンツをつくりたい」

そう思って営業になってから約5年が経った。良いコンテンツをつくるためにコンテンツとビジネスの両面がわかる人になりたい。この気持ちは今もかわらないが、アプローチは変わっていく。

ここ1年でコミュニティの重要性が話題になっている。サディの言葉を借りれば「コミュニティはバズワードで、昔から勝っている企業はコミュニティをつくっている」と僕も思う。ただ情報量が爆発し、つながりが希薄になった現代でひとはコミュニティによる強いつながりを求めていると思う。

コミュニティは閉塞感のあるコンテンツ業界にとってどんな影響をもたらすのだろうか。そんな気持ちで去年の6月にコルクラボに入った。

前置きが長くなったけど、このnoteではコルクラボで学んだコンテンツやコミュニティについて実験結果を紹介していきたいと思う。

「最近読んだこんな漫画が面白くてさ」「最近行ったイベントが面白くてさ」

こんな会話が日々されているコルクラボは、あたらしいメディアのヒントになると思っている。

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