電車内における通話の是非


先日もいつも通り、専門学校に行くので電車に乗っていました。自分は英語を勉強したいので、英訳ニュースを流し聞きするためにイヤホンをつけているのですが、突然叫び声が聞こえました。

驚いて、イヤホンを外してみると、どうやらおばさんが電話しているのを、おじさんが怒鳴って注意しているようでした。

おばさんは怒鳴られてびっくりしたのか「すいません」といい、電話を切っていました。

自分は、どうかんがえても、その怒鳴ってるおじさんの方が迷惑でした。結構な音量で聞いているのに、それでも耳に入るほどの怒鳴り声です。気持ちよくはないですよね。そこで長年の疑問だった、「電車内での通話の是非」について私見を綴りたいとおもいます。

結論からいうと、自分は電車内での通話はしてもいいと思っています。もちろん、優先座席以外です。

マナー違反だと叫ぶ人達の主張として、「通話している時の声がうるさい」という意見をよく聞きます。

そもそも電車の中では静かにしなければいけないのでしょうか?静かにしなければいけなのであればどうしてなのでしょうか?

朝の通勤時などこそ、静かではあるものの、それ以外のときは騒がしいことがままあります。友人同士で乗り合わせたり、ハイキング帰りの高齢者などは楽しそうに談笑してることはよくあると思います。そして、そういった人たちが会話していることは特段迷惑がることはないですよね。

なのになぜ、電話となったとたん、マナー違反となるのでしょうか?

JR西日本のHPにも電話はご遠慮くださいと書いているのですが、肝心の「なぜ」というところが抜け落ちてしまっています。海外では、電車内での通話はマナー違反でないことがほとんどのようで、どうやら日本特有みたいです。

ではなぜ、通話がマナー違反になってしまうのかを考えていったときに、ある結論に至りました。それは

特に理由はないが”常識的にただなんとなく守っているだけ”だということです。

そもそも、日本人は同調圧力に極端に弱い傾向があります。周りの人間がそうしていると、自分もそれに合わせないと気が済まない民族性があります。もちろん、これはプラスに働く面もあるのですが、マイナス面もあります。

それは何か行動を起こすときに、理由は必要なく、周りがそうしているだけで、それ自体が行動を起こす動機になることが多いということです。

ちょっとややこしいですが、簡単にいうと、周りみんながあることをしていれば、わけがわからなくてもそのあることをしてしまうということです。そこに合理性や、必要性はなく、”みんながしてるから”という理由だけで、あることをしてしまうのです。

ここでも、以前に触れた「手段の目的化」が起こってしまっているように思います。

そもそもマナーとは人と人が営みをスムーズに、気持ちよく行うための暗黙の了解です。なのに、みんなはマナーを守ることが目的になってしまっているので、そもそもどうして静かにする必要があるのかがわからないまま、従っていると思うんです。

これは電車内では通話をしてはいけない、それが常識だという先入観、思い込みに過ぎないのです。

今回の例だと、どう考えても注意をしてるおじさんの方が社会的な害をまき散らしています。

もし、本当にうるさいというのであれば、イヤホンをして音楽をきくなり、耳栓するなりしてはいかがでしょうか?100均でそれを買うお金がないことはないでしょう。

そうして、電車内での電話ができるようになれば、より快適な通勤、通学ライフが送れるのになー

とおもった、通勤ラッシュの満員電車でした。



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