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「浪花百景」のいまを訪ねる②

長町毘沙門堂から五階百貨店まで(浪速区編)

■  オタロードの中にある「毘沙門堂」

「長町毘沙門堂」(貞信画「浪華百景幷都名所・浪花百景之内」より)
現在の毘沙門堂


 大阪市24区のなかで、もっとも狭いのが浪速区だ。ただ、区内には前回紹介したなんばパークスがあり、大相撲春場所が開かれる大阪府立体育館(エディオンアリーナ大阪)もあり、日本橋商店街もある。なんばシティは本館の半分と南館が浪速区で、南海の難波駅は北改札口と中央改札口が中央区、南改札口は浪速区。誤解されることもあるが、通天閣のある新世界も浪速区である。
 電気の街、サブカルの街として有名な日本橋商店街だが、堺筋沿いの「日本橋筋商店街」、なんばシティから堺筋に至る「なんさん通り商店会」、堺筋の南西部に位置する「日本橋商店会」、堺筋と南海線の間にある「日本橋筋西通商店街」に分かれていて、これらを全部合わせて「でんでんタウン」とも呼ばれる。
 このうち、日本橋筋西通商店街の別称が「オタロード」。マニア向けの店が多く、メイド喫茶やコンカフェが軒を並べている通りを指す。
 そんなエリアの中で、戦国時代末期の文禄年間から立地するのが「長町毘沙門堂」こと「大乗坊」だ。

大乗坊の正面山門


 山号は崑崙山、本尊はもちろん毘沙門天。もともとは四天王寺の東北辺りにあったのだが、織田信長と本願寺の石山合戦(大坂本願寺合戦)で焼け落ち、現在の場所に移転してきたとか。現在の本堂は1945年の大阪大空襲で全焼したのち、1960年に再建されたものだ。
 江戸時代には広大な寺域をもち、大いににぎわったとされるが、いまはこぢんまりとした様子。本堂前に狛犬が奉納されているのは、浪花百景に描かれている鳥居と同じく、神仏習合の名残だろう。

山門内向かって右側にある阿形の狛犬。左側には吽形の狛犬もある

 周囲とはまったくことなる厳粛な雰囲気が、神妙な気分にさせてくれる。
「長町毘沙門堂」の「長町」とは、現在の日本橋近辺の地名だ。この辺りには旅籠や木賃宿が多く、また南部の裏町は貧民街でもあった。しかし、1903年に現在の天王寺公園と新世界で第5回内国勧業博覧会が開催されることが決まるとスラム街は一掃され、移転先となったのが釜ヶ崎である。
 寺から出ると、そこは大勢の人が行きかうにぎやかさ。ビラを配るメイドさんやコスプレイヤーさんの可憐で華麗な姿が目にまぶしい。

オタロードの様子とチラシを配るメイドさん

■  これからに期待が持てる「昭和レトロな商店会」

 オタロードを南に向かうと日本橋商店会だが、ここにはいっぷう変わった建物がある。「新五階ビル」である。

3階建ての新五階ビル

「五階」と名乗っているものの、けして五階建てではない。また、このビルのある周辺を「五階百貨店」ともいうが、デパートがあるわけではなく地域の名称だ。
 もともとは近くには、1904年に取り壊されるまで、高さ31メートルの5階建てパノラマタワー「眺望閣」があった。まだ2階以上の建物が珍しかった時代、観光客が押し寄せ、周囲にはそれを目当てにした露店街が広がった。そして、「なんでもそろう」ということから「百貨店」と呼ばれ、「五階建てパノラマタワーの下にある百貨店」から五階百貨店と呼ばれるようになったという。
 今は工具や電化製品をあつかう店が多いものの、近年は古着をあつかう店やカフェも増えつつあり、「昭和レトロ」をアピールしている。

日本橋商店会の入り口ゲート

 たしかに路地裏に迷い込んだような界隈は、オタロードとは違う落ち着いたイメージをあたえてくれる。
 

安価で販売されている着物。劇団員に重宝されているらしい
路地に軒を連ねるカフェなどの様子
自動販売機横の多少過激な注意書き

 いくつもの空き店舗が見られるので、ここに新しい店が入居すれば、さらに面白みも増すのだろう。そんな期待をいだかせてくれるエリアではある。 

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