見出し画像

第4章 毒と人間 4-4 毒と暮らす 2.毒と白粉文化:「特別展「毒」」見聞録 その30

2023年04月27日、私は大阪市立自然史博物館を訪れ、一般客として、「特別展「毒」」(以下同展)に参加した([1])。

同展「第4章 毒と人間 4-4 毒と暮らす 2.毒と白粉文化」([2]のp.148-149)では、伊勢白粉、白粉化粧を施した江戸時代人女性復顔像、および、浮世絵が展示された。

鉛白(えんぱく、塩基性炭酸鉛)は、ハフニ、御所白粉(おしろい)、および/または、鉛白粉とも言われた。ギリシャのテオフラストス(BC 372~288年)が鉛板を酢に浸して創ったのが鉛白の最初といわれ、BC 4世紀にすでに使われていたと思われる。鉛白は奈良時代に、水銀白粉(伊勢白粉)とともに中国から伝えられたとされ、692(持統天皇06)年に僧観成によって初めて創られたと「日本書紀」にある。慶長(1596~1615年)のころから、堺の銭屋、小西らによって本格的に製造され始めると、価格、機能の面で一般に普及した。江戸時代の白粉といえば、鉛白、すなわち鉛白粉(なまりおしろい)を指し、以後、明治時代に鉛中毒(鉛毒)による被害が社会問題化するまで、白粉の主流を占めていた([3])。

伊勢白粉(おしろい、水銀白粉)は甘汞(かんこう)すなわち塩化水銀(I)(Hg2Cl2)で、軽粉(けいふん)、はらやとも言われた。伊勢白粉の名は現在の三重県射和付近で製造されたことに由来する。伊勢参りの土産物として、また、神職の御師が暦や御祓とともに土産物として全国の檀家に配ったといわれる。室町時代の狂言「素袍落(すおうおとし)」にも「奥さまへは伊勢おしろい。…」とあるので、中世にはすでに有名だったと思われる(図30.01,[4],[5],[6])。

図30.01.伊勢白粉。

鉛白は16世紀初めに堺で安価で質の良い白粉が製造されるようになり、江戸時代には鉛白粉が本格的に流通して一般に使われていた。鉛白粉は、更に粉末の粗さによって三段階に分かれていた。

さらに、白粉はムラにならないよう、また、塗ったか塗らないか分からないように、首、胸、および、耳にも塗られていた。また、生え際は境目のないように塗られていた。特に額の生え際を白く見せるために水銀白粉が使われていた(図30.02,[7])。

図30.02.向かって左から、歌川国貞作「浮世五色合 白」と渓斎英泉作「美艶仙女香 式部刷毛」。

江戸時代では灯の燃料として菜種油や魚油が使用されたが、この薄暗い灯の中で見ると、白く化粧した女性の方が魅力的に見える場合もある(図30.03)。

図30.03.白粉化粧を施した江戸時代人女性復顔像。

江戸時代の白粉化粧は水で溶いて付けるのが特徴で、刷毛も何種類もあった。

当時使われた白粉化粧道具として、白粉三段重と白粉刷毛が使用された(図30.02,図30.04,図30.05,7)。

1.白粉三段重:磁器製で、三段のうち一番下が深くなっている。白粉と水を別々に入れ、それを溶き合わせるのに使ったものである。

2.白粉刷毛:顔や首、襟足や胸まで白粉を塗るのに使われた。板刷毛、水刷毛、牡丹刷毛、ほほ刷毛等の種類があり、付ける部位や順序によって使い分けられた。一般庶民は、簡易につくった刷毛や指などで簡単に白粉を伸ばしていたようであった。

図30.04.上:「寿」文字入白粉三段重。
下:向かって左から、牡丹刷毛と水刷毛。
図30.05.上:向かって左から、波兎模様白粉三段重と「寿」文字入白粉三段重。
下:向かって左から、「小町香」包みと「雲井香」包み。

江戸時代には様々な銘柄の鉛白粉が売られていた。白粉は畳紙(たとうがみ)に入っていて、表には浮世絵師が描いた人気役者の絵や小野小町を連想させるような美人画がデザインされていた。なかでも有名だったのが「美艶仙女香(びえんせんじょこう)」である。読み物や浮世絵に登場させるという宣伝で、川柳にも「なんにでもよくつらを出す仙女香」と詠まれるほど高い認知率であった。

鉛白粉は伸びも付きもよかったので、明治時代に入っても愛用され続けたが、歌舞伎役者に起きた慢性鉛中毒事件が社会問題になり、それを契機に「無鉛タイプの白粉」が、また輸入品に触発されて「色つき白粉」など、新タイプが次々と登場する新時代を迎えることになる(図30.05,7)。

1887年、白粉を多用していたある歌舞伎役者が罹った「慢性鉛中毒事件」をきっかけに、鉛の有毒性が知られ、白粉の使用をめぐる社会問題にもなった。この事件以降、安全性の高い「無鉛タイプの白粉」が登場した。さらに輸入品に影響を受けて、「色つき白粉」など西洋的美意識を取り入れた素肌の色に近い新タイプの白粉が登場するようになった。1934(昭和09)年、鉛入りの白粉の製造が正式に禁止されるようになった([8])。

明治時代に無鉛白粉が出回りはじめるとともに、1900(明治33)年には鉛白粉が使用禁止となった。また、大正時代には肌色や肉色に着色した有色白粉が市販され始め、以後、白粉を使った化粧法は大きく変化していく。現在、粉白粉のおもな成分はタルク、マイカ、セリサイト、カオリン、二酸化ケイ素(シリカ)あるいはこれらを表面処理したもので、これに白色顔料や着色顔料の酸化チタン、酸化亜鉛、酸化鉄などが添加される。また、最近では特定の機能をもたせるために配合される成分も多く、特殊な色補正効果や紫外線防御機能、ソフトフォーカス効果などをもった高機能の製品が販売されている([9])。

1934年には、鉛白粉の製造は禁止されたとはいえ、「鉛白粉のほうが美しく見える」と考える役者も多く、需要が続いていた。しかし、11代目市川團十郎(以下敬称略)とカネボウはこの問題を解決するために、「肌に安心」なだけでなく、鉛白粉よりも美しく見える白粉の開発を目指していた。そして、1954(昭和29)年、「舞台白粉」の初代が誕生した。

鉛を使っていない初代舞台白粉誕生後も、11代目市川團十郎とカネボウは更に品質改良を続けた。そうやって初代「舞台白粉」の誕生から6年の歳月を費やし、ついに、1960(昭和35)年に『舞台白粉』(ステージカラー)を完成させた([10])。

「第4章 毒と人間 4-4 毒と暮らす 2.毒と白粉文化」の執筆を介して、白粉の歴史は「女性の美の変遷」および「無鉛白粉の開発を含む技術革新」の歴史であることを痛感した([11])。


参考文献

[1] 独立行政法人 国立科学博物館,株式会社 読売新聞社,株式会社 フジテレビジョン.“特別展「毒」 ホームページ”.https://www.dokuten.jp/,(参照2023年08月21日).

[2] 特別展「毒」公式図録,180 p.

[3] 日本化粧品技術者会.“鉛白(えんぱく) [white lead]”.日本化粧品技術者会 トップページ.ライブラリー.化粧品用語集.「え」一覧.https://www.sccj-ifscc.com/library/glossary_detail/229,(参照2023年08月24日).

[4] 日本化粧品技術者会.“伊勢白粉(おしろい) [Ise face powder]”.日本化粧品技術者会 トップページ.ライブラリー.化粧品用語集.「い」一覧.https://www.sccj-ifscc.com/library/glossary_detail/105,(参照2023年08月24日).

[5] 三重県.“第10話 射和の軽粉”.三重県 トップページ.スポーツ・教育・文化.文化.県史.紙上博物館.2008年10月31日.https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/shijyo/detail.asp?record=554,(参照2023年08月24日).

[6] 三重県.“「伊勢白粉」の製造頒布とその推移”.三重県 トップページ.スポーツ・教育・文化.文化.県史.県史あれこれ.(3)中世(鎌倉・室町~戦国時代の終わり).1990年12月.https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/arekore/detail.asp?record=62,(参照2023年08月24日).

[7] 株式会社 ポーラ・オルビス ホールディングス.“021 伝統化粧の完成期 江戸時代8 江戸時代のメーク&トレンド<白〔白粉化粧〕>”.ポーラ文化研究所 ホームページ.化粧文化.日本の化粧文化史.2021年11月25日.https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture/cosmehistory/021.html,(参照2023年08月25日).

[8] 株式会社 資生堂.“NUMBER32 もともとファンデは「鉛」でできていたの?”.ファンデ100問100答 ホームページ.それってウソ?ホント?街でウワサの「ファンデの都市伝説」.https://www.shiseido.co.jp/foundation100/answer/q32.html,(参照2023年08月26日).

[9] 日本化粧品技術者会.“白粉(おしろい) [face powder]”.日本化粧品技術者会 トップページ.ライブラリー.化粧品用語集.「お」一覧.https://www.sccj-ifscc.com/library/glossary_detail/250,(参照2023年08月26日).

[10] 株式会社 カネボウ化粧品.“1960年 機能性ファンデーションの開発~歌舞伎界のスーパースターの熱意に応えて~”.カネボウ化粧品 トップページ.会社情報.Kanebo Brand Story.https://www.kanebo-cosmetics.co.jp/company/story/1960/,(参照2023年08月26日).

[11] 日本化粧品工業会.“化粧の文化史”.日本化粧品工業会 ホームページ.消費者の皆さまへ.化粧品の基礎知識.https://www.jcia.org/user/public/knowledge/history,(参照2023年08月26日).

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?