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「見返すことができた」 節目のプロ10年目に辿り着いた新境地

出来ないことを認めるのは「悔しい」
やってきた事を手放すのは「難しい」

だが、それを乗り越えた先に
辿り着ける「新境地」があるとしたら…

その日、
カメラの向こうにいた男の表情に感じたのは
王者の誇りだけではなかった。

育成契約から這い上がってきた万感の思い、
自分の役割を認め、成長を遂げられた自信。

まさに「年輪」と呼ぶにふさわしい
遠藤祐亮の歴史がそこには詰まっていた

選手たちが徐々に体を動かし始めた7月。
栃木県内で行われたクリニックを訪れた。

束の間のオフには優勝旅行も叶い、
こんがり焼けた肌が、嫌味なく映る。
5年ぶりの悲願はしばらく余韻が続いたと言う。

悔しい気持ちが残ったままシーズンを終えると、
「何かしなきゃ」という気持ちになって
始動も早くなるんですけど、
今年は優勝してやり切った感じもあって
オフはリラックスできたし、
家族との時間も多く取れました

22年7月 取材時

ブレックス一筋、
キャリアは今年で丸10年を数える。

これまでの道のりは
決してエリート街道ではなかった。
だからこそ、
込み上げる感情もひとしおだったのだろう。

10年かかったけど、見返せた

月バスに載るような選手との試合は
有名人と対戦している感覚でした

21年1月取材時

市立船橋高校時代は
全国の舞台にも立った遠藤だが、
今もBリーグでしのぎを削る
同世代との距離感を、
当時はそのように感じていたと言う。

大東文化大学に進学後も
1年生の頃から試合に出てはいたが、
将来トップリーグでやっていく自信は
まだなかった。

ただ、ブレずにあったのは、
上のレベルでやりたいという気持ち。

大学4年の頃には皆んな就職先が決まってて、
大学生活もバスケも
楽しみながらやる感じだったんですけど、
自分はリーグ戦とかインカレとか天皇杯も
全部「就職活動」みたいな感じでやってて、
“変なやつ”みたいな感じでした

21年1月取材時

当時のトップリーグだったJBLは
その年代から5~6人しか上がれない狭き門。

何をどうすれば
先の道が拓けるのかも分からなかった中で
腐らず周りに想いを伝え続けた。

監督の尽力でいくつかのトライアウトを受け、
ようやく進路が決まったのは卒業間近のこと。

2012年、
リンク栃木ブレックス(当時)と育成契約を締結。
下部チームの「TGI D-RISE」で
プロとしてのキャリアが始まった。

↑クリックすると動画が再生されます
21年3月公開 特集「信じ続ける力」-

あれから10年。

夢を諦めずに追いかけ続けた“変なやつ”は、
日本一のチームに欠かせない主力へと成長し
歓喜の輪の中にいた。

ここまで辿り着けた歩みを
本人はどう感じているのだろうか。

あまり過去の事は考えたことないですけど、
当時は自分がこうして
取材を受けていることも考えられなかったし、
日本の1位になること、
しかもスタートで
試合に出ているのも想像できなかったです

22年7月 取材時

遠藤は少し間を開けて
言葉を選ぶように続ける。

やっぱり「通用しない」とか
言ってきていた人たちがいたので、

そういう人たちを「見返したい」、
「トップチームに上がりたい」という
強い気持ちで最初はやってきました。


「通用しない」という言葉のおかげで
頑張れた部分もあったし、
10年かかりましたけど本当に頑張ってきて
その人たちが「間違ってたんだ」ってところを
見せられたんじゃないかなと思います。

見返すことができたと思います。

22年7月 取材時

心の「準備」が生んだ1年の成長

遠藤への単独取材は1年ぶりだった。
前回の取材では
2つの悔しさを口にしていた事が印象的だった。

1つは「準優勝に終わった悔しさ」
そしてもう1つは、大事な場面で
自分が任せてもらえないことへの悔しさ」

前者は優勝というリベンジで晴らせたが、
後者の課題にはどう手応えがあったのか。

1年前の言葉を踏まえて尋ねてみると
遠藤は噛み締めるように振り返った。

今思うと2シーズン前はいざパスを受けてたら
シュートを打ててたのかなって…
その「準備」ができていないのに
悔しい思いだけがあったんだと思います。


でも昨シーズンは
もし比江島が駄目だったときに
「自分が取ってやる」という気持ちになれたので
チャンピオンシップの千葉戦なんかは
最後に「準備」をしてたから
突き放すシュートを決められたと思います

22年7月 取材時

チャンピオンシップ
クオーターファイナル千葉戦のGAME2。
68-71のリードで迎えた第4クオーター残り12秒。

ダブルチームの
プレッシャーをかいくぐった比江島から、
コーナーで待つ遠藤に1本のパスが通る。

遠藤の持ち味でもある
膝を深く曲げて放たれた綺麗なシュートは
そのままリングに吸い込まれた。

試合を決める3Pシュートだった。

「準備」ができていたから。

言葉にすればあまりにも簡単だが、
遠藤にとってはシーズンを通して
何を残し、何を捨てるかの選択でもあった。

自分がやりたいっていう気持ちはあるけど、
日本のトップリーグの中で
ドリブルで1対1をできるレベルなのか考えると、
足りてない部分、
準備できてない部分が大きかったんです。


それよりは3Pシュートが
自分の武器だと再確認した部分があったので、
比江島やジョシュが
困ったときに決め切れる準備。

“割り切って”というか、
それが自分の最大のパフォーマンスだと思いました

22年7月 取材時

出来ないことを認めるのは悔しかったはず。
そして、当たり前にやってきた事を手放すのは、
きっと難しかったはずだ。

だが、遠藤はそれを準備と呼び、
精神面で成長できたと振り返る。

課題を乗り越え
己のやるべきことに徹した遠藤のように、
チーム1人1人が役割を認識し全うしたことが
「日本一」という最高の結果をもたらしたのだ。

ワクワク語る今後の夢

今年の10月には33歳を迎え、
キャリアも年齢もベテランと呼ばれる域に入る。
優勝を2度も経験した今、
「燃え尽き症候群」になっても不思議ではない。

これからの遠藤祐亮とは…

そう質問を「未来」に移し始めた時、
少しだけ遠くを見つめ
すぐにワクワクした表情を浮かべた。

今は子供もバスケをやっていて
10歳になるんですけど、
中学生、高校生になっていくと
プロの凄さを分かってくると思うんです。
それを分かり始めるぐらいの時までは
チームに少しでも貢献できる存在でいたいです。

そして息子がプロを目指して
頑張るようになった時に、
自分が現役でいたいっていう想いがあります

22年7月 取材時
子供との未来を思い浮かべる

例えば8年後、
18歳になった子供とトップチームで汗を流す
遠藤の姿を想像してみる。

Bリーグ初の親子競演。

考えるだけでこの上ない楽しみであり、
大きな野望だ。

それは夢ですね。
自分がブレックスで試合に出ることができるか
どうか分かりませんけど、
それを目標に頑張っていこうという部分は
大きくありますね

22年7月 取材時

そう遠くはないかもしれない
息子との未来を、
遠藤は本気で楽しみにしている様子だった。

もちろん、その夢を果たすまでは、
自身も胡座をかくつもりはない。

まもなく始まるプロ11年目のシーズン。

「連覇」という大きな“挑戦権”を持つのは
宇都宮ブレックスだけである。

どんどん歳を追うごとに
パフォーマンスは落ちていくと思うんですけど、
それをどう維持していくかは
田臥さんというモデルがあるので、
彼のような気持ちで毎シーズン挑んでいけば
より長くキャリアを
続けられるんじゃないかなと思います。

また優勝したい気持ちはありますけど、
やっぱり「BREXらしさ」っていうのは
チャレンジャーとして戦う部分だと思うので、
受けて立つ気持ちも持たないといけないですが、
やっぱりチャレンジャーとして
「連覇」を目指してやっていければと思います

22年7月 取材時

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