延藤_折口

折口信夫で延藤安弘を読む|異なる価値観をつなぐ「~のような」の論理

「似ている」ことを手掛かりに、本来は同じではないものつなぎ合わせ凝り固まった発想を解きほぐす。それが、都市研究家・地域プランナーとして知られた延藤安弘(1940-2018)が得意とした啓蒙手法「幻燈会」の基本構造でした。

2台のスライド映写機からスクリーンに投影される写真や絵は、それぞれ対になったり、連続したり、関連したりします。そこへ講談師のように延藤安弘が語りを乗せる。そんな延藤の作法を真似て、延藤安弘のまち育て論とは何だったのかを考えてみたいと思います。

折口信夫「のような」から考える

たとえば家づくりに際しての建築家と施主、あるいは住民参加のまちづくりにおいての専門家と住民といったように、異なった考え方や語り方、その背後にある知識体系を持った人たちのあいだを橋渡しして、お互いの対話や協働を企てることが、いま様々な分野で重視されています。

延藤安弘もまた、『「まち育て」を育む―対話と協働のデザイン』をはじめとした自著で提唱する「まち育て」論のなかで、「専門知」と「生活知」といった、異なった知識や論理を結び合わせることが生活空間の新しい質を生み出すことを指摘しました。

両者の間に横たわっている深い溝を埋めるためには、説得によってどちらかを選ばせるんじゃなく、それぞれの違いを違ったままで、異なる意見や思いも尊重しながら取り込んでいくことが戦略となる。建築家や専門家が住民を説得するのではなく、自分の知識や論理をも解きほぐしてみることで、施主や住民との相互理解への道筋を開く。そんな可能を指し示しました。

さてさて、異なった論理の世界を探求した人物として、唐突ながら民俗学者・折口信夫(1887-1953)を思い出します。折口が古代を研究するために提唱した「類化性能」は、類推思考とも言い換えられる概念。「別化性能」と名付けられた分析的な思考と対比されるので、「類化性能」は「生活知」を捉えるためのとっておきの概念では中廊下と思えます。

「専門知」と「生活知」を結び合わせることを模索した延藤「まち育て」論を、折口「類化性能」から類推的に捉えてみると、どんな発見があるでしょうか。幻燈会で映し出される2枚の写真のように、延藤と折口を並べてみてはどうでしょうか。

延藤安弘の経歴と研究歴

まずは簡単に、延藤安弘の経歴・研究歴を振り返ってみましょう。

延藤は1940(昭和15)年に大阪に生まれました。折口信夫もまた生まれが大阪だったことは興味深いものがあります(注1)。

北海道大学工学部建築工学科に在学中、西山夘三(1911-1994)の『これからのすまい:住様式の話』(相模書房、1947)に出会い「電撃的感動」を受けた延藤は、大学卒業後の1964年に京都大学大学院へ入学。西山に師事しました(注2)。

京都大学大学院では、修士論文『住宅・建築・地域計画の方法論的考察』(1966)をまとめ、その後は、西山の後継者・巽和夫(1929-2012)のもとで、住宅と居住者を媒介する住宅供給、そのための住宅生産、居住者の住宅選好など多方面にわたる研究論文を発表。学位論文『都市住宅供給に関する計画的研究』(1976)により工学博士の学位を得ます。

学位を取得した後は京都大学助手へ。以後、ハウジング、ミニ開発、ーポラティブ住宅、住教育などについての研究・活動を進め、「あじろぎ横町」や「ユーコート」の企画・実践を展開。そして、論文「コーポラティブ住宅の計画研究としての方法的位置づけ:ユーコートの特質とその計画原理(1)」(1989)をマニフェストにするかのように、質的研究へと転換。

熊本大学教授、千葉大学教授、愛知産業大学大学院教授、日本各地をまわるかのように歴任しました。

西山研、そして巽研という研究遍歴から察するに、数値による分析と計画への展開という、まさにゴリゴリの定量の帝国に在って社会変革を目指したであろう延藤の足跡は、当時の学会論文等を見ていくと知ることができます。

ただ、自らはそのことをほとんど語りませんでした。自身の生い立ちについて書かれた文章でも、京都大学時代はスッポリと抜け落ちています(注3)。

とはいえ、というか、だからこそ、この空白の時代こそが、延藤「まち育て」論へと至る研究視座・方法的態度の転換点であり、そのキッカケであったように思われます。そのあたりについては、別の機会に書いたことがあります。よろしければご笑覧ください。

「類化性能」と「まち育て」

折口信夫の「類化性能」は「類似点を直観する傾向」であり、「事物の間の関係を正しく通観」した上で類似点を直感する能力だといいます。では、「類化性能」は折口の思想においてどんな意味を持っていたのでしょうか。

折口は自分自身の研究について次のように言っています。「合理化・近世化せられた古代信仰の、もとの姿を見る」こと。そして、「新しい論理の開発」あるいは「道徳的感覚」を発見することだと。「新しい論理」によって、個を社会に、無意識を意識に媒介することで「新しい生活」が成立すると考えました。

そして、論理と倫理、旅と読書、哲学と科学、実感と事象の融合状態を指して「発想」と名付けました。異なる二つを融合するために用いられる思考方法が「類化性能」というわけです。折口は「類化性能」を駆使して、フィールドワークで訪れた土地の人たちと交わり、これまで読書等で蓄積してきた知と「実感」を再編集することで「道徳的感覚」を掴み取ろうとしました(注4)。

一方で、延藤の「まち育て」は、「市民・行政・企業の協働により、環境の質を持続的に育み、それにかかわる人間の意識・行動も育まれていくプロセス」だといいます。協働を促し、環境の質や人間の意識・行動を育む。そのためには、異なった知識や論理を結合していくダイナミックな流れが鍵になる(注5)。

そんな「まち育て」について、延藤の主だった著作から、特に異なった知識や論理の結合に注目しながら読み解いていくと、たくさんの対比表現を見つけ出せます。

専門知/生活知
対象知/関係知
因果律/縁起律
イズム/リズム
モノ・カネ・セイド/ヒト・クラシ・イノチ
エンジニア/エンギニア

などなど。

この二項対比は、だいたい前者が行政・専門家、後者が市民・住民を指しています。そして双方の間には深刻な価値観の対立が見出されます。そこで延藤は、後者に寄り添いつつも前者を排除はしません(注6)。埋めがたい価値観の溝を二項対立や二者択一ではなく、融合し並存させるのが「まち育て」論のミソ。

そんな「まち育て」論の背景には、師である西山夘三と同じように資本主義批判が通底音のように聴こえます。でも、その打開策には社会主義的な階級闘争の空気を感じることはできません。また、巽和夫にみられるような徹底した住居と居住者の主客対応の分析と計画化ともいささか趣が違っています。

延藤にとっての埋めがたい溝を克服する打開策とは。それは、市民は計画的・論理的に思考・行動しないもんだよ、という認識に依って立っているように思えます。それゆえに「階級闘争」だとか「計画主義」を採ることはない(注7)。

どっちかというと、マルクスよりもベルクソンに親近感を感じながら、市民が忘却している本当の「時間」を回復し、「生の躍動」を喚起することが大切だと考えたのだと思えてきます。

比喩のちから

それでは、実際に異なる価値観を乗り越え、そして融合させるためにはどうしたらよいのでしょうか。そのあたりについて、延藤「まち育て」論は、比喩(~のような、~みたいな)を積極的に用いる戦略を採っていることに気がつきます。折口の「類化性能」とソックリなのはもはや言うまでもありません。

それでは、延藤と折口、それぞれの論理にみられる特徴を比べてみつつ、延藤「まち育て」論を再構成してみましょう。

1 異なるものをつなぐ「~のような」

本来なら両立したりしない価値観の対立を克服する。そのために延藤は、「戸建てのような集合」だとか「私道のような公道」といった比喩表現をよく用いています。さらには「昔は未来」のように真逆な概念をひっくるめて表現したりも。

論理的には両立するわけがない状況やスタンスを「~のような」とつなぐことでアクロバティックに結び合わせてしまう論理展開は、折口の文脈でいえば神話伝承に多く見られるものでしょう。

神話にみられる論理展開は現代人からみれば荒唐無稽だけれども、古代の人々が本来持っていた思考方法だといいます。「専門知」と「生活知」を融合させる「まち育て」論は、いってみれば「生活知」に息づいている「~のような」の語りとして現れるのです。

分析的・論理的な思考による「専門知」では切り捨てられてしまう「ワクワク」と躍動する感覚を、「生活知」を足掛かりにして掬い取る試みが延藤「まち育て」論のエッセンスといえるでしょう(注8)。

2 研究への姿勢

延藤の「分析知」から「生活知」への展開、「理屈からフィーリング」への流れは、必然的に市民の思考を足掛かりに「新しい論理」を生み出す方法的態度を導き出します。だからこそ、実証的なことよりも納得的であることが大切にされる。納得をもたらすためには人々の心を開かせるユーモアが鍵となる(注9)。

延藤はアイロニーやパラドックス、メタファーの力についてたびたび言及しています。「言葉」が大事にされている。それと同時に「言葉」がすぐに形骸化・陳腐化してしまうことへの警戒も併せ持っています。そういえば、延藤と同様に折口もまた「私の学問は、最初、言語への深い愛情から起った」と語っています(注10)。

そんな事情を踏まえると、延藤の著書や論文などで次々と生み出される概念や造語が、一向に精緻化されない研究姿勢も理解されるのではないでしょうか。それは折口の理論が常に形成過程にあり、原理論と派生理論の総合体が相互に共振しながら増大していった状況と瓜二つです。

そうした研究姿勢は、さらには、平均値よりも極限値で実相を捉える姿勢にもつながっていきます。分析対象が妥当かどうかはサンプル数の多さなんかではなくって、極限値を示す出来事の質に担保される(注11)。

また、悉皆的な既往研究のレビューもまた用をなさないし、事例の疑似客観的な比較分析も当然に扱ったりしない。そして、考察に用いられる概念は、毎度毎度、新規の用語や造語が用いられます。

そんな浮気性な振る舞いは、見出した出来事の質を「的確」にすくい上げることが最優先されるからではないでしょうか。そして、ここで言う「的確」とは、現状の過不足ない分析・記述じゃなくって(注12)、出来事に見出される良質な可能性の萌芽を「言祝ぐ」に相応しいことを意味しているように思えます(注13)。

3 「幻燈会」とはなにか

「まち育て」論の実践でもある「まち育て」活動では、市民の心のなかに残る「古代」感覚をあぶり出す作業が前提になります。「分析」による理解ではなく、「類推」によるイメージの増幅が重視されるのですから、写真や図に語りをつけて行う「幻燈会」のスタイルが採用されるのは当然でしょう。

「幻燈会」では、いつも「まち育て」の先行事例や絵本が紹介され、そこから「まち育て」へ向けた気づきが醸成されます。

ところで、延藤によってアレンジされた「幻燈会」は、戦前から戦後にかけて積極化した生活改善運動での幻灯がルーツの一つだと思われます。近代の「分析知」的思考を啓蒙するため実施された幻灯会に対して、延藤による「幻燈会」が持つ大きな違いは、投影機を2台同時に用いること(注14)、そして、講談師の語りで演じられる点です。

別々の映像を隣り合わせることは、類推的な思考を促すことでもあります。また、大阪弁丸出しの講談調な語りも、標準語的・論理的な発話と対比されたものであるのは言うまでもありません。

また、類推を促すというポイントから、「幻燈会」のメッセージは明快な解答じゃなくって、含みに留められています(注15)。あくまで穏やかな合意形成に向かっての準備体操が進められ、それによって「分析知」の解体が目指される(注16)。それはつまり、皆がそれぞれ前向きに勘違いできる仕組みでもあります。

ちなみに、「幻燈会」は大学・大学院など教育の場面であっても同様に行われました。そこで披露されるスライドや語られる内容は、ワークショップでのそれとほぼ違いはありません。

なぜでしょうか?

それは類推によって「生活知」を呼び覚ますことが、大学教育や研究室活動の場面でも重視されるからでしょう。当然に「専門知」的な暗記作業・応用演習が予め排除される「まち育て」活動と同様、「幻燈会」を通した「生活知」の覚醒がイントロダクションとなる。また、それと併せて読書と現場での実感が求められることになります。

おわりに、でも、おわりははじまり

延藤安弘の「まち育て」論を折口信夫「類化性能」概念を通して、まさに「~のような」的に読み解いてみました。

興味深いことに、生活改善普及員や農村建築研究会が、地方の農村に暮らす人々の「古代」論理を取り除き(注17)、その上に「専門知」を上書きすることによって近代化を推し進めた際に用いられた手法が幻灯会でした。

1台の幻灯機によって近代化された街へ、改めて合理化・近代化された住民の思考を再洗脳するように2台の幻灯機を携え全国行脚する延藤という構図。この構図を拡大解釈してみると、日本が進めた近代化プログラムの行程をなぞるように、都市部から郊外、そして田舎へ。さらには海を越えて台湾、中国、東南アジアへと活動圏を伸ばしていく脱近代化の行程を描くことが可能でしょう(注18)。晩年、延藤は台湾でのプロジェクトも展開しましたが、ナルホドとひざを打ちました。

さて、おわりに、延藤「まち育て」論が持つ可能性をふまえつつも、そこに垣間見られる課題について2点ほど指摘しておこうと思います。

①延藤「まち育て」論の賞味期限問題

合理化・近代化が熟した「専門知」社会にあって、「類化性能のようなまち育て」がどこまで実効性を持つのかという懸念。「生活知」を尊重する延藤のアプローチは、資本主義化、都市化、近代化などなど「専門知」の過剰による弊害が危機として認識された1970年代に親和的でした。そこでは忘れられていた「生活知」を呼び覚ますものとして機能したのでしょう(注19)。

だとすると、参加・協働が一般化し、市民のほうが合理性や採算性に執心し、行政側のアリバイ的に市民参加を活用するようになった1990年代以降、延藤のアプローチはどのように受け取られていたのでしょうか。

②延藤「まち育て」論は継承可能か

「類化性能」による分析・考察は、実はその背後に膨大な観察と思索、さらには目利き的な洞察が必要となります(注20)。しかも、一見したところ延藤が軽視したかに見える「モノ・カネ・セイド」は、「まち育て」論の構造上、実は否定されたわけでも軽視されたのではなく、当然身に着けているべきリベラル・アーツと見なされている可能性が大です。しかもそのことが明言されない。

こうなると「まち育て」論の教育・継承はとても困難なものとなります。それは折口学の継承が不毛と終わった原因とも共通するのではないでしょうか。また、本質的に「まち育て」論が、学問・実践ともに可能性を見出す作業となるため、思考や議論の不備を正すよりも、そこに見出される萌芽性を言祝ぐことが大切にされるため、思考や議論の深化・成長が促されにくい危険性もあります。

近代が成熟・完成した今日の日本社会において、持続的に「生活知」を呼び覚まして、価値観の対立を乗り越えながらも、「道徳的感覚」を育んでいくことは可能なのでしょうか。その道筋を探るべく、さらなるタンケン・ハッケン・ホットケンが求められます。


注および参考文献
1)折口信夫と延藤安弘はともに柳田国男から発展的/反発的に学の継承を行っている。柳田国男→折口信夫、そして、柳田国男→今和次郎→西山夘三→延藤安弘。どちらの系譜もともに師の学問を批判的に継承している(今和次郎と西山夘三の関係については、『今和次郎集〈第五巻〉生活学』、ドメス出版、1971年に収録された西山の解説文を参照)。
2)延藤安弘編『人と縁をはぐくむまち育て』、萌文社、2005年、p.27。なお、別の箇所では『國民住居論攷』は見られず、『これからのすまい:住様式の話』のみを挙げている(p.59)。この2著の内容がもつ差異からも、延藤の志向性を垣間見ることができる。
注3)たとえば「なぜか京都を飛び越して熊本大学のときでございますが」といったように記述される。前掲書『人と縁をはぐくむまち育て』、p.59参照。
4)こうした折口の姿勢を岡野は「実感の学、あるいは体験の学」と評し、また「あの人の場合、学問と文学の創作ということとは、けして分かれたものではない」、さらには「自分の古代学の理想的な究極の表現は、戯曲にならざるを得ない」としている。岡野弘彦「折口信夫の学問と思想」、國學院大學折口信夫博士記念古代研究所ほか編『折口信夫・釋迢空―その人と学問―』、おうふう、2005年、p.17。また、折口はフィールドワークの内容を膨大な量の写真として残すなど、写真に深い関心を持っていた。この関心が「瞬間の猶予もなく対象を把握」する「作歌」と類似していることを小川は指摘している。小川直之「折口信夫の生涯と資料」、前掲書『折口信夫・釋迢空―その人と学問―』、pp.75-77。
5)折口も「違った領域と違った領域を結びつける、リンクさせる冒険」を重視し、「驚きの爲に考へが飛躍する」ことが大切と考えていた。延藤流に言えばそれは「びゅっと行け!」に該当するだろう。伊藤高雄「「古代」への歩行」、前掲書『折口信夫・釋迢空―その人と学問―』、p.94。
6)この場合、延藤の視点は「専門知」を通過した「生活知」の獲得を志向している。その別表現として、例えば延藤は日本建築学会子ども教育事業委員会のインタビューで「「方法としての子ども」なわけです。子どもには前例も秩序も常識も通用しない。そのかわりそういう混沌としたカオスの中から生まれ出てくるエネルギーはとても力強いのです。近代社会の「わく」を超えて自由で楽しい「わくわく」するような活動をするためには「子どもの視点」が大事なのです」と答えている。ここでいう「子どもの視点」とは、幼さではなく未だ近代化されていない子どもが生きる論理と解釈できよう。 http://news-sv.aij.or.jp/kodomo/interview/endo.html
7)西山夘三の共産主義的建築学が、巽和夫に至って計画主義へと展開し、『行政建築家の構想』(1989)へと結実するのに対し、延藤はその翌年に『まちづくり読本―こんな町に住みたいナ』(1990年)を上梓したことは象徴的な出来事とおもわれる。
8)この「類推」の文脈から考えると、なぜ延藤の自己紹介が「うずまき自己紹介」の表現をとるのか判然とする。
9)先にベルクソンとの類似性を指摘したが、ここでは著書『笑い』のなかで、虚栄心の特効薬が笑いであると喝破したことが類推的に思い出される。笑いの作用は「機械化」した生を本来的なものへと奪還する試みといえる。ここでの文脈で言えば「形式知」や「分析知」に毒された心を解きほぐす役割と見なせそうだ。
10)折口信夫『古代研究―第一部 民俗学篇第二』、大岡山書店、1930年に所収の「追い書き」。なお、折口が國學院大學に提出した論文は「言語情調論」(1910)であった。折口の言語観形成の背後には、アンリ・ベルクソン、西田幾多郎、エルンスト・マッハ、ローマン・ヤコブソン、エドムンド・フッサール、レヴィ=ストロースらが名を連ねる「感覚一元論」の系譜があることを安藤は指摘している。安藤礼二『神々の闘争―折口信夫論』、講談社、2004年を参照。
11)こうした方法的態度として見田宗介『まなざしの地獄―尽きなく生きることの社会学』、河出書房新社、2008年が参考となる。また、折口自身も「私は、人類学・言語学・社会学系統の学問で、不確実な印象記なる文献や、最小公倍数を求める統計に、絶対の価値を信じる研究態度には、根本において誤りがあると思ふ。記録は、自己の経験記以外のものは、真相を逸した、孫引き同様の物となることが多い。計数によるものは、範疇を以て、事を律し易い上に、其結論を応用するには、あまり単純であり、概算的である。比較研究は、事象・物品を一つ位置に据えて、見比べる事だけではない。其幾種の事物の間の関係を、正しく通観する心の活動がなければならぬ」と述べている。前掲「追い書き」。
12)この場合、延藤は実際の出来事ではなく、そこに込められた良質な意味へと関心が向いているものと考えられる。よく似た視点を伊藤高雄は折口の旅に関連して次のように指摘している。「折口の場合には心が外に向かっていないのであって、旅のなかで自分の心へ、内面へとどんどんベクトルが降りていって」おり、そして「折口信夫にとっての学問における旅の意義というのは、実際に旅の中に身を投ずることによって、心を研ぎ澄ませ、敏感な感受性によって、連想、飛躍を呼び起こすための方法だった」としている。伊藤「「古代」への歩行」、前掲書『折口信夫・釋迢空―その人と学問―』、p.89。
13)この「可能性を言祝ぐ」(こうした表現を延藤は採っていないが)という姿勢は、いわゆる研究において行われる「不可能性をあげつらう」姿勢と真っ向から対立することになる。
14)「手術台の上野ミシンと雨傘の偶然の出会い」というロートレアモンの詩句が連想される。また、利己的な人間が生み出す不幸な近代文明にノンを突きつけたシュルレアリストたちの創作思想・活動を通して延藤「まち育て」論の再読を試みることもできそうだ。例えば「デペイズマン」の手法は、幻燈師の技法と姿勢と多くの類似点を持っているように思われる。酒井健『シュルレアリスム―終わりなき革命』、中央公論新社、2011年を参照。
15)「幻燈会」は統一的なイメージ形成や一義的なメッセージの伝達を意図していないだろう。その証左として、延藤が自治体側からワークショップの「落とし所」を尋ねられることに不快感を表している。こうした「幻燈会」の特質は、しばしば「催眠療法」や「新興宗教」と揶揄される批判への反論となる(高木宏夫『日本の新興宗教―大衆思想運動の歴史と論理』、岩波書店、1959年や、柿田睦夫『自己啓発セミナー―「こころの商品化」の最前線』、新日本出版社、1999年を参照)。一義的なメッセージを持たない「幻燈会」の特質としては、その対極としての宮澤賢治の「雪渡り」における狐による地域住民(しかも子ども)への啓蒙活動と対比させると面白い。宮澤「雪渡り」、所収『注文の多い料理店』、新潮社、1990年。
16)そこに読解すべきは、レヴィ=ストロースがいう「構造」に近いものではないだろうか。「構造」は要素間の関係が変換し、別体系に変化しても、なお変わらない何かを指す。変換によって生じる新たな体系と当初の体系との関係が「構造」といえる。この「構造」の視点から、「幻燈会」のレパートリーが分析できそうだ。小田亮『レヴィ=ストロース入門』、筑摩書房、2000年を参照。
17)かつての村落共同体で行われた寄合い・談合は、何ら「論理的」なものでなく、「いくつかの話題を共同で転がし、談合のなかで人々の心がひとつのものに纏まってゆくのを見届けたうえで、最終の結論が全体の承認のうえでなされるよう運営」されたことを高取が紹介している。高取正男『日本的志向の原型』、平凡社、1995年、pp.175-176。
18)海外での活動の足掛かりとして、まず台湾からオファーがあったのも偶然ではなかろう。
19)こうした観点から、延藤によるこれまでの活動を整理し直すことで、「まち育て」活動における今後の課題を導きだせるように思われる。
20)折口もまた「比較能力の程度が、人々の、学究的価値を定めるものである。だから、まず正しい実感を、鋭敏に、痛切に起こす素地を―天稟以上に―作らねばならぬ。而も、機会ある毎に、此能力を馴らして置く事が肝腎である」と述べている。前掲「追い書き」。

(おわり)

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