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「ローマ字の日」に読みたい原浩『家-建築の話-』|大きな夢を描くために

今日、5月20日は「#ローマ字の日」。

戦後教育改革期の文部省著作ローマ字教科書『MATI』(1949年)と『WATAKUSITATI NO MATI』(1948年)。挿絵に味があって、とってもかわいい街並みや建物の絵が掲載されています。日常の生活や社会を題材にローマ字を学ぶ。当時、こうした教科書に依りつつ初等教育でのローマ字教育が一時期積極的に展開されました。

ローマ字の教科書たち

戦後、日本では戦時中に流行した煽りの効いた「生硬な漢語の羅列」を「封建的」と見なして、文体・表記法などの合理化・簡素化運動が活発化しました。題して「国語民主化」。戦前からすでにあった国語国字改革派(佐野利器もそのひとり)の主張が時流に乗ったのでした。

そしてもう一冊が、ローマ字教育会が出版した、原浩『Ie(家-建築の話-)』(1950年)。主人公となるふたり、サブローとクミコは建築業のおじさんに建設現場を案内してもらいます。その過程で、住宅の歴史、施工、材料、構造、設計などについて児童向けにわかりやすく語る内容です。

原浩『Ie(家-建築の話-)』(1950年)表紙
原浩『Ie(家-建築の話-)』(1950年)目次

奥付によると著者である原浩は、明治38(1905)年に和歌山県海草郡加太町、現在の和歌山市にて生まれる。昭和4(1929)年に早稲田大学建築科を卒業し、吉田享二のもとで助手をつとめはじめた矢先に、家業の原庄組を継ぐため帰郷。社長に就任します。

突然、社長として率いることになった原庄組は、県内最初の総合建設会社なのだそう。文化3(1806)年に紀州藩10代藩主・徳川治宝から大普請方の命を受け創業した老舗企業。戦前には加太港湾築造工事、新宮鉄道の建設、戦後は紀陽銀行本店の戦災復旧、和歌山市民会館公会堂の新築などを手がけたのだとか。

原浩は戦前期に大学を出たエリート。地元へ帰郷したのちは、家業の建設業のほか、和歌山県工業教育委員会、和歌山県社会教育委員会などの役職をつとめたほか、和歌山ローマ字会を設立し、ローマ字運動に尽力することになりました。

そんな経緯があっての『Ie(家-建築の話-)』なのでした。本書冒頭の「Hasigaki」は、こうしめくくられます。ローマ字表記だと読むのがシンドイので、日本語に訳します。

大人になったらこんな家を建ててみようと、みんなで大きな夢を描けるように。

「民主主義的市民精神と国際理解の成長に大いに役立つ」とされたローマ字を習得しつつ、不燃都市・不燃住宅の実現、近代的生活への生活革新へ向けて「大きな夢を描く」。そんなロマンを和歌山の地で著者は小中学校の児童・生徒たちに訴えたのでした。

(おわり)

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