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1961年5月10日、家を買う|稲沢市中ノ庄土地付分譲住宅契約書類を読む

今日、5月10日は家尾勝太さん(仮名)が愛知県稲沢市「中之庄団地」の分譲住宅を購入した日です。過日ヤクヲクで入手した分譲パンフに売買関係書類がはさまっていたため確認できました。契約日は1961年の今日。63年前の出来事。

「稲沢市中之庄土地付分譲住宅」は、現在も東海地区で分譲マンションや戸建住宅を手掛ける内田橋住宅(当時は名古屋市熱田区に所在)が1960年に内田橋木材から住宅部門を独立させて以後初となる分譲住宅事業でした。

愛知県稲沢市中之庄に全220戸が建てられたといいます。敷地面積は平均50坪、上物は建坪平均15坪とあって、そのほとんどは当時一般的だった平屋建てです。工法も木造在来工法がほとんどで一部、ブロック造住宅もあった模様(8戸)。

分譲住宅のプランは「1型」から「15型」までの全15種類の型式で計画されます。名古屋市中区に住んでいた(たぶん借家住まい?)家尾さんはそのうち木造平屋建住宅の「8型」を契約したようです。間取りは和室2間にDKとサンルームの12.5坪。瓦葺き屋根にモルタル塗り外壁といった当時としてはベーシックなつくりになっています。

この2年前には大和ハウス工業「ミゼットハウス」が販売され、1960年には積水ハウス産業(現・積水ハウス)も成立。1961年には以後のプレハブ住宅を方向づける住宅商品がではじめ、マスコミでも取り沙汰された時代。とはいえ、まだベンチャー企業が手がけるプレハブ住宅は、家尾さんたちの選択肢に入るほど大衆化した状況ではなかったはずです。

1961年5月は藤あや子や渡辺徹が生まれたことで知られます。前年の1960年には池田内閣による「国民所得倍増計画」が打ち出され、大手信託銀行が住宅建設・宅地造成を積極的にバックアップしていくことになりました。日本信用販売も住宅月賦を開始。1961年にはレジャーブームに湧くとともに、住宅ローンが制度化されています。庶民が持ち家を持つ仕組みがより具体化したのがこの頃。

ちなみに、いまも「中之庄団地」は健在です。Google先生にうかがってみると、そのほとんどは工務店やハウスメーカーによる2階建住宅に建て変わっていますが、分譲当時のままであろうお住まいも数件確認できます。

ただ、売買予約契約書に記された家尾さんのお住まいはすでになく、更地になっていました。そこにはもうブロック塀しか残っていませんが、分譲パンフに書き込まれたメモや、契約書類、そして当時の住まいの歴史に思いをはせると、そこで紡がれたであろうドラマがあれこれと想像されます。そこには、夢のマイホームを獲得した家尾さん(仮名ですが…)の生きた証が刻まれています。

(おわり)

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