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父娘問答【5】となりのトトロ編

我が家のテレビは録画した「となりのトトロ」の永遠再生が頻繁。しかも次女がオープニング専門、長女のメシやフロで中断となるため、アニメの前半ばっかり再生されることに。家早南友。
 
「ちょっとトトロばっかり見てるの勘弁してほしいんだけど」

「えー、でもトトロみたいの」

「トトロばっかりじゃん。ただでさえ糸井重里が好きじゃないのに、前半は登場頻度高いし、その顔つきはムスカに似てるから、案外とサツキたちのお父さんが実はムスカなんじゃ中廊下とか連想してシンドイんだけど」

「職業が考古学者だから、ラピュタ帝国について調べてて、古代の碑文が読める読めるぞ!みたいな?でもトトロみたいの。むしろ、あのムスカですら家庭ではいいパパだっていう真理と人間の業を描いた作品だと思えばおもしろいの。そもそもパパはトトロを表面的にしか見てないから楽しめないの」

「ええー、どういうこと?里山とかエコロジーとかそういう側面も読み取れってこと?」

「ブッブー(最近のキメ台詞)。それを表面的って言ってるの。「となりのトトロ」が公開された時代背景や思想的連関を考慮したら、いろいろと気づきがあるの」

「公開は1988年?イサム・ノグチの没年、翌年からは平成。プラザ合意が1985年だからバブル景気のなかで制作された、ってことかなぁ。。。」

「ジブリに通底してる農本主義的な理想像がバブル期にあってより先鋭化した結果が1950年代を舞台とした農村風景につながってるのはベタな話として、バーナード・ルドフスキーの『建築家なしの建築』を補助線にしてみたらどうかと思うの」

「あれは1964年のMoMAでの企画展がもとだよね。雑誌「都市住宅」別冊として1975年に邦訳、SD選書になったのは1984年だったかな。「風土的・無名の・自然発生的・土着的・田園的」がキーワードだったよね。それが関係あるの?」

「80年代には「モダニズム建築による風土・土着の再発見・再利用」って視点が一般化してたことを考慮すれば、主人公一家・草壁家はハウスメーカーの家づくりに限界を感じて工務店を立ち上げた経営者って見立てられるの」

「ああー。だとすると、母の病気治療のために田舎の伝統的家屋、しかも伝統農家ではなく和洋館並列型住宅に移住するのって象徴的だなぁ」

「草壁家は村にとっては「農家でない」という点において決定的に外来者なの。だから草壁家は「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」って言う田舎の若者が抱く心境を理解できないの」

「笑。そうかそうか。風土や土着をテーマに脱ハウスメーカーな家づくりを模索する工務店の物語か。でもそれはあくまでハウスメーカー的世界を通過した上での模擬的な伝統志向ってことね」

「80年代、一部の建築家や建築学者たちはヴァナキュラーな建築言語を生産性と齟齬のないシステムによって実現しようと模索しつつ、でも多くの工務店・ハウスメーカーはバブルの波に乗って悪しき未来志向へと走っていったんだよねー」

「なるほどなるほど。だとすると「もののけ姫」や「風の谷のナウシカ」はハウスメーカーに駆逐されていく大工・職人の哀歌って読めないこともないね」

「だからパパもちゃんトトロ見ないとブッブーなの。明日、ジブリのDVDたくさん買ってきてぇー」

「そうなるかぁ・・・」

(おわり)

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