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父娘問答【4】千と千尋の神隠し編

次女を泣きやませるためにヘビーローテーションしていた「となりのトトロ」無限地獄から脱するために「千と千尋の神隠し」への移行を試みるも、長女の反対運動にあって膠着状態。。。
 
「大好きなトトロと同じ人がつくったアニメだよ。おもしろいよ」

「いやなの、トトロがいいの」

「どうしていやなの?とってもおもしろいよ」

「こわいからイヤなの。おててからキラキラ出す黒い人がこわいの」

「えー、カオナシでしょ。カワイイやん」

「それにあの湯屋「油屋」自体がもっとこわいの」

「あー、あの湯屋、道後温泉本館や渋温泉金具屋、目黒雅叙園といった実際の建物がモデルにな・・・」

「ブッブー!そういう文脈のない雑学披露はバツなの。その建物が作品世界に用いられる意図や効果とセットで語らないと、ただのウンチクおじさんになっちゃうの」

「えー、手厳しいなぁ、じゃあどうしてこわいの?」

「あの油屋で働いたせいで千尋が社畜になっちゃうの」

「社畜ってどうよ。むしろあの物語は典型的なビルドゥングスロマン(成長譚)で、最初はグズグズだった千尋がいろんな試練を経験しながら労働を通して立派な少女に成長する物語だよ」

「どんどん千尋が発言し行動する少女になっていく過程みてて、なんだかブラック企業の洗脳セミナーを連想してもの悲しくなるの」

「えー、それ考えすぎじゃない?でも、湯婆婆は名前を奪って支配するわけだからアイデンティティを剥奪するって洗脳だよね、たしかに。でも、結局は千尋は自分の名前を取り戻して元の世界に帰って行くわけだから、ブラック企業から抜け出ることができた。そしてなんだかんだいって成長したってのはいい話じゃないの?」

「ブッブー!カングリー精神を大切にしてるくせに「考えすぎ」を否定したら、それ言っちゃおしめーなの」

「うぐぐ」

「あと、なんだかんだいって成長したって教育カリキュラムや育成プログラム不在を肯定するのも近年のアクティブラーニング帝国主義でザンネンなの。そんなこといったら道を歩いてるだけでも人は何らかの学びを得るんだし」

「うぐぐ、たしかに。でもさぁ、湯婆婆はブラック企業の経営者だとして、銭婆は千尋たちを救ってくれたし、優しく扱ってくれたよね。ブラック企業でヒドイ目にあったけど、ホワイト企業に救われたから、苦労が無駄にならなずに成長できたって理解じゃダメかなぁ?」

「むしろ銭婆は「やりがい搾取」なんだし。ちゅうか、湯婆婆と銭婆は双子という設定からもわかるように同一人格であって、ブラック企業経営者がアメとムチを使いながら従業員をコントロールする状況の反映なんだし。そう思うと、ハクだって結局は最後まで湯婆婆の手先だった可能性もあるし。DV男の反省モードを体現、的な」

「どんだけ人が信用できないんだ笑、まぁでも宮崎駿もそのあたりの矛盾に気づいて、漫画版ナウシカみたいに映画版の設定を覆したくなるかもね。ちゅうか、ジブリの体制自体が油屋と相似形だとしたら、もっと根が深いナ・・・」

「あと、銭婆だって契約印を盗んだハクを殺しかけたように暴力行使も厭わない人物なの。ただ、自分自身に対して刃向かわない相手には武装解除する。これって、あの尼崎連続殺人死体遺棄事件の主犯格・角田美代子の手口にも通じるものがあるの。映画公開の2001年と角田の家族乗っ取り事件って時期が重なっているし」

「なるほどなぁ。そう言われてみるとたしかに油屋ってブラック企業が経営する風俗店に思えてきた。そこで千尋がコミュニケーション力を磨かれる心理主義って悲しくなってくるね」

「どんどん愛想がよくなる表層的コミュニケーション力に、承認欲求不全のカオナシが惹かれる構図だよね」

「なるほど。物語冒頭のグズグズな感じの千尋のほうがよっぽど人間味があっていいナ。千尋も結局はクリストファー・ロビンのように「なにもしない」をすることができなくなったんだよなぁ・・・」

「まぁ、そこが宮崎駿の宮崎駿たる所以だし。そんなことより、主人公は千尋じゃなくって青蛙だし」

「えー、あの我修院達也?なにその新説?」

「青蛙はカオナシに食べられたせいで一定期間、神隠し状態にあったの。これって、我修院=若人あきら失踪事件(1991)のパロディだし。若人あきらは海で失踪、青蛙は海で発見!」

「ワカとアキラの神隠し・・・」

(おわり)

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