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たどたどしさの復権

娘の放牧でたびたび訪れる近所の公園。その入り口にある立て看板がリニューアルしました(図1)。

図1 公園の立て看板

以前(左)はなんとも手作り感あふれた文字「またのお越しをおまちしております」がガタガタ。そして文字と背景が近似色でこれまた見づらい色遣いとツッコミどころ満載でした。

そして今回(右)。愛らしいオリジナルキャラクターを配し「またのお越しをおまちしております」の文字も細みのゴシック体を使って安定感は抜群。以前の立て看板と比べてクオリティに各段の違いが生じています。

こうやって、普段目にするあちらこちらにまでデザインの力が行き届く。そうすることで、わたしたちの生活空間も次第に豊かになっていくのだと思います。

そんないいデザインに囲まれながら成長していく子どもたちは、大人になってさらにステキで豊かな生活空間を作り出していくことでしょう。

はたしてそうでしょうか。

以前の看板は、いかにもたどたどしいお手製の品。たぶん公園の職員が自作したのではと思えるシロモノでした。でも、じっくりと眺めていると何だかほのぼのしてきます。そして、むしろ色も緑豊かな周囲の環境にマッチしているように感じられてきます。

この「またのお越しをおまちしております」という文字を「ベタ組」にして安定の均質感を生み出した新看板は、そつがないという点においてそれ以上でも以下でもない記号に化してしまったのではないでしょうか。

ひょっとして旧看板は、組版(あるいはワープロ)に慣れてしまった私たちに対して、かつての日本語ひらがな文字がもっと自由に綴られ、もっと絵と文字の境目が曖昧だった(葦手文字みたいに)ことを思い出させるものだったのかも。フシギな文字レイアウトは、書道の世界でいう「散らし」を模し、メッセージに込められた息づかいをも表現しているのかも。

今や、デザインやマーケティングのイロハがあまねく広まり、かつてはプロしか扱えなかったような表現手法も、安価かつ容易に手にすることができるようになりました。その恩恵もあって、巷には「それっぽい」表現が溢れています。それっぽいインスタ映えする写真、それっぽい「いいね!」感満載SNS用文章などなど。

個性派を標榜すればするほど、いわゆる個性派路線という類型に絡め取られていくという皮肉も。ご当地キャラとか、洗練されたデザインとか、うまいキャッチコピーとかいったメニューを揃えれば揃えるほど、地域の独自性や固有性が均質化・類型化されていってしまうという逆説。

そんな陥穽から逃れるためにも、もっともっと、そこにいる人たちなればこそな「たどたどしさ」が巷にあふれてもいいのでは。今こそ「たどたどしさ」の復権が必要なんじゃ中廊下。

はたしてそうでしょうか。

実はこの蔓延する「それっぽさ」への類型化を嘆じる主張すらも、別種の類型的な立場としてお誂え向きとも言えましょうか。

自分の発言がどんな類型の衣を今まとっているのか自覚的になること。もろもろの類型がどうやって立ち現れているかを探ること。諸類型の外を想像すること。

その大切さを教えてくれる公園の立て看板なのでした。

(おわり)

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