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住宅産業論ノート

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住宅産業やハウスメーカー、プレハブ住宅に関する過去・現在・未来を通して、これからの住まいを考える試みです。
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#建築

ぼくは王子様になったようだ|1960年代、プレハブ勉強部屋という「お城」

ヤフヲクで入手した古雑誌をつれづれなるままにペラペラめくっていたら「永大の勉強部屋」(永…

『マイホームの文化史(仮)』目次(暫定版)|庶民の夢100年のあゆみ

あけましておめでとうございます。 2023年前半は人生初の単著刊行に向け、原稿を書いて書いて…

「レゴの日」なので同社の歩みから住宅商品化の歴史を妄想する

5月5日は「こどもの日」であると同時に「レゴの日」でもあるのだそう。ちなみに、レゴ創業者オ…

家を買う時代がはじまった頃|1965年「プレハブ住宅は得か損か」を読む

『週刊朝日』1965年10月22日号に「プレハブ住宅は得か損か」と題した記事が掲載されています。…

「こだわりの提案」と「安心でお手軽」の両立|WEB住宅提案の最前線

「理想のデザイナーズハウスを叶える」という新しい住宅商品サービスが、4月29日に発売されま…

即席ラーメンとプレハブ住宅|すぐ/どこでも食べられる/建てられる

インスタントラーメンとかインスタントコーヒー、インスタントカメラといった表現はよく聞きま…

ハウスメーカー住宅ができる世界の仕組みと意味|住宅産業論【ダイジェスト】

まさかの遠隔授業でのスタートとなって、昨年度までのパワポやら配布資料やらを大幅に再編集することからはじまった今年度。ようやく、その半期が終わろうとしています。今になってみれば、授業内容・資料を見直す機会になっただけでなく、見る・読むパワポにしたことで、毎回、図版を集め直し、テキストを一章ずつ書き下ろすような体験にもなりました。 そんな授業の一つである講義「住宅産業論」について、ダイジェスト版を備忘録的に書き出しておこうと思います。 ⽇本の家づくりに⼤きな影響⼒をもつハウス

いま、わたしはそれを見た|アフリカ・タンガニーカのセキスイハウス体験

京都大学アフリカ学術調査隊のメンバーとして、タンガニイカ湖畔に建設された「カボゴ基地」に…

フリーサイズからホームコアへ|住宅産業界の異端児・ミサワホームの1960年代

1960年代。戦後の深刻な住宅難が依然と続くなか、この頃になると大和ハウス工業や積水化学工業…

原始の(プレハブ)小屋|ミゼットハウスにはじまる勉強部屋ブーム

5年ほど前からでしょうか、小屋ブームという言葉が聞かれるようになりました。いま一度、暮ら…

セキスイハウスF型|1965年、プレハブ住宅は高級化路線に舵を切った

いまではすっかり高級路線あたりまえになったプレハブ住宅。もともとの理念は高品質・低価格で…

壁博士・中村伸と「ミゼットハウスの出現」、そして「左官職人こね太郎」の戦後日本

1959年、ハウスメーカー史の冒頭を飾る商品住宅「ミゼットハウス」が、大和ハウス工業から発売…

三井Uハウス|飯塚五郎蔵と集成材住宅の夢

ハウスメーカーが手がけるプレハブ住宅とはどんなものか。まだそのカタチもイメージも模索段階…

住宅営業についてのメモ【4・完】|Mさまご夫妻とわたしの家づくり

大学卒業後、6年半勤めた住宅営業のお仕事。職場の先輩であるベテラン営業ふたり、F主任とOさんは、それぞれにお客さまの信頼を得て契約を獲ってくる「高い営業力」を持っていました。でも、契約に至ったお客さまが実際に建てる住宅は、意匠的にも計画的にも構法的にも「ヒドイ提案」ではないのかという問題。 そんな「営業力」と「提案した住宅」のあいだにある深い溝を手掛かりに、その深い深い断絶が、実は「産業」「木造」「注文」「営業」の計4本の溝でつくられる根本的な問題なのでは中廊下的なことを9