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光属性が思いつかない、神さま以外で

アニメやマンガで流行りやすいモチーフって、だいたい闇属性のモノだよな、と。魔法使いとか悪魔とか、死神に幽霊、それに鬼とか妖怪とかとか…。バラエティ豊かだ。

反対に光属性のモノを思い浮かべてみると、唯一神か、それに属するモノ。例えば神の子か、神の使い(天使、預言者、神父、牧師…)と、どうも一辺倒だなんだなあ。ギリシャ神話とかの多神教の神々は、ゲームなんかでもよくモチーフにされるけど、彼らの言動は人間と同じように、好き放題わちゃわちゃしてるイメージで、光属性で一括りにするのにはどうも抵抗がある。

人間の想像力は、闇の方面には豊かに発揮されるのに、光の方面にはなぜか貧相だ。みんな人間の延長線上なんだもの(失礼)。なぜこんな事態になったのか。光あるところに影がある、とは上手い言い回しだけども、別に光がなくたって、闇は闇として平気なツラで存在してるわけだ。世界は闇で、たまたまそこに光があって、その恩恵を授かって我々人間は生きている。古来、光の世界は人間の認識の範囲内だったけど、闇の世界は不可知だった。不可知なモノは恐ろしいから、そこに様々な闇属性のクリーチャーをイメージするというのは想像に難くない。クリーチャー(creature)という言葉を使ったけど、これはcreate(=創造する)が語源で、想像上の生き物とかいった意味がある。ただ、光属性の神からすると、今度は我々人間の方がクリーチャーということになってしまう。難儀だ。

しかも神が物語に登場するやいなや、ゲーテのファウストなんかがいい例だけど、人間を試したり運命を弄んだりと、大変厄介な奴として描かれる。こんな奴はもう光属性じゃない。

じゃあ人間は創作から光属性を見放したのかというと、断じて違う。光の使者・プリキュアがいるではないか。これは決して冗談ではない。その昔、D.Gray-manというマンガがヒットして(今も続いてるけど)、その主役はエクソシストたちだった。悪魔を払う、光属性の者たちである。そして、人間でもある。今、創作における光属性は、人間によるエクソシズム(悪魔払い)を通してしか姿を現すことができない。結局のところ、光の世界の主人は人間であり、それを脅かす存在として闇のモノたちが創造されたのだから、神なき今、それらに立ち向かうのは人間の他にいないわけだ。プリキュアも例外ではない。鬼殺隊だってそうだ。人間に仇なす存在がいるから、仕方なく戦うっきゃない、たとえ相手が神でも、という構図である。人間さえいなければ彼らだって気ままに暮らせるだろうが、でも彼らを生み出したのは人間自身である(メタ発言)、という皮肉よ。

それに考えてもみて欲しい。光の軍勢と闇の軍勢が、人間を抜きにしてドンパチする様を見せられても、たぶんあまり面白くない。デビルマンの悪口は言ってない。不動明は誰がなんと言おうと人間だから。

拡大解釈すると、光属性vs.闇属性は、ヒーローvs.ヴィラン、警察vs.泥棒というように、別にクリーチャーじゃなくても描くことが出来るというわけだ。人間の営為として、ということで。(完)

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