カメラが好きだから、あえてカメラを手放した

1ヶ月ほど前に、スマホをiPhone SEに替えた。
昔からカメラが好きで一眼レフを含めて一時期は毎年のように買い替えていたけど、HUAWEIやGalaxyなどカメラ性能が高いスマホを経て、ついに写真を撮れるデバイスがiPhone SEだけになった。

カメラについて、iPhone SEほどシンプルなスマホはほとんどないんじゃないかな。
シングルカメラだし、ナイトモードみたいなはやりの機能もない。

風景写真を撮ろうと思うと、とくに望遠カメラがなくてもどかしく感じることが多い。

でもカメラが最小限になったことで、「いい写真を撮らなきゃ」という意識が薄れて、その分目の前の景色に集中できるようになった。

最近思うのだけど、満足度とか経験の豊かさ的なものは、
何を経験するか以上に、どれだけ意識を向けられるか、集中できるかが大事な気がしている。

これまでの満足度イメージ(=面積)

最近の満足度イメージ(=体積)

たとえば映画を見ながらゆっくりおいしいものを食べようとしたのに、
開始5分くらいで食べ終わって、しかも映画のストーリーが入ってこないみたいなことが起こるように、

意識が分散すると経験が薄っぺらくなって、
トータルの満足度(=体積)が小さくなってしまう。

僕はカメラが好きだけど、
それよりはるかに自然の美しさを感じることが好き。

というより自然の美しさを保存したいが為に写真を撮ってきた節がある。

でも実際には、どんなにいい機材を使って撮影しても、現実の感動には遠く及ばない。
なぜなら写真にした時点で、情報が圧倒的にそぎ落とされてしまうからだ。

今日は戸隠(長野)に行ってきた

現実には、自然の音や、森の匂いや、ひんやりした空気など、無数の感覚がある。
無数の感覚が統合されて生まれた感動を、視覚の一部を切り取った写真で表現しきれるとは思えない。

それならば、目の前にある心が沸き立つほど美しい光景を存分に味わったほうがいい。
好きなカメラを完全に捨て去る必要はないと思うけど、あくまであとから感動を思い出すためのトリガーくらいの位置づけがちょうどいい気がしている。

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