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復活は、既に行われていた

はじめに

今回はキリスト再臨の際に起きる「復活」について書いていこうと思います。



最初の「復活」はキリストの処刑直後に起きていた


磔刑

僕には、大きな疑問が二つありました。

「イエスは、なぜ避けられるはずの処刑を避けなかったのか」
「イエス自身が復活したとしても、それと僕らの復活は関係ないのでは?」

まずイエスの磔刑についてなんですが、キリスト教の教義では、僕らの罪の為にイエスは身代わりとなり、磔刑にされたとあります。

イエスが亡くなられた時点で、僕らの罪が終わっているならば、なぜ三大罰とされる「労働、出産、死」が、2000年近くも継続されているのでしょうか。

罪がなくなったのであれば、「輪廻転生」という終身刑が終わっていないのも納得できません。

僕らの罪の為に亡くなったというのは、キリスト教布教の為の方便であり、この部分は改竄されているのではないだろうか。

以前から、この教義に関しては違和感を覚えていたんですが、今回の聖句を知り、納得できました。

また、イエス自身が亡くなって復活したとしても、他者を復活させる事とは別物ではないだろうか、その証明にはならないのではないかと思っていました。

確かに、イエスはラザロや女性を蘇生させていますが、イエスが亡くなる必要がどこにあったのか、はっきり言って疑問でした。

神(エンキ)は、自身が行う福音を証明する為に、イエスに「磔刑となり、一度死ぬこと」を望んだのではないかと思います。

全ては、神の計画という事になります。

この根拠となる聖句があります。

そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。
 するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。
 ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。

「マタイによる福音書27章46~50節」

イエス自身は「神から見捨てられた」と言っていますね。

つまり、神(エンキ)はイエスの死を望んでいた事になります。

なぜ、神はイエスの死を望んでいたのでしょうか。

それは、自身のテクノロジーにより、全てが終わった時に、「復活」や「栄化」が起きると証明したかったからではないでしょうか。

その根拠となる聖句があります。

イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、
 また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。
 そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。
 百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。
 また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。
 その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。
 夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。(マタイの福音書27節50~57節)

亡くなった直後に、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返ったとあります。

これを比喩表現だと解釈していた人もいますが、比喩表現で墓を開けといった事をわざわざ書かなくてもいいでしょう。

この方は、墓の中では、3日間も飲まず食わずではいられないと解釈されていましたが、キリストの墓は現代の墓とは全く違う構造です。

そもそも人は3日間、飲まず食わずでいても生きていられます。




岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。(マタイによる福音書27章60)

つまり、この時代の墓とは大きい石を入り口に置かなければならないほど、巨大であったという事になります。

こちらの画像を見ていただければ分かるかと思います。


キリストの墓

3日程度なら、生存できるでしょう。

しかもマグダラのマリア達が、死者の蘇生を目撃しているんですね。

比喩表現で、ここまで書く必要があるでしょうか。

この聖句により、僕の疑問はなくなりました。

イエスの使命とは、「エンキのテクノロジーを証明するために、福音を伝えるために、神の子として生まれ、人々を救い、磔刑により亡くなり、そして復活し、神の教えを伝え人々を導く」という事だったのではないでしょうか。


古代イスラエル人のジェノサイドの目的


キリストの福音を金儲けの道具としたのが、アシュケナージユダヤ人です。

彼等は、自身が作り出した宗教であるキリスト教を使い、「キリストを信じたものは救われる」と偽の教義を布教していきました。

つまり、「救われたければ、我々を信じろ、寄付をしろ」という話です。

全てはお金の為です。

僕らの人生にとって最も大切なことは、「律法」を守る事でした。

この「律法」を守り続けてきたのが、古代イスラエル人である日本人とアウシュビッツ収容所で虐殺された本当のユダヤ人という事になります。

しかし、本当のダビデ王の子孫であった天皇家が、田布施町の朝鮮人から背乗りされて以来、この「律法」を守るという教えも希薄化していきます。

食は欧米化していき、貞操観念は崩壊し、結婚するまでは性行為は行うべきではないという教えもなくなり、(イスラム教では死罪となります)本来は守るべき先祖や神との繋がりも、都会へ行けば成功するという偽の夢や成功を追い求め、ただのイルミナティの都合のいい奴隷となってしまいました。

祖母も言っていたのですが、戦前生まれの方々は、婚前交渉した女性を蔑んでおり、「傷物」として扱っていたそうです。

ここにも「律法」の教えが、まだ残されていたのだと思います。

昔から、長男は家督を継ぎ先祖や神を守り、両親を守っていく事こそが美徳とされ、それ以外の子供は死のうが生きようがどうでもいいから都会へ行かせようとするのが、伝統だったそうです。

神から日本人を切り離すために、ありとあらゆる洗脳工作が行われた様ですね。

核家族化、「田舎者」を侮蔑として使うようになったのも、イルミナティの洗脳工作でしょう。

昭和初期までの、都会での死亡率がそれを物語っています。

そもそも東京のほとんどの地域は忌地であり、本来は人が生活する場所ではありません。(池袋、麻布、渋谷、塚=墓といった地名が多いこと)

水道水もフッ素や様々な毒物が混入されており、まさに巨大なアウシュビッツ収容所と言っても過言ではないでしょう。

人は無意識で自然を求めています。

都会に住んでいる方々が、休日に自然溢れる場所を求めているのも、その証拠でしょう。

ローマ帝国のキリスト教徒迫害から始まっている古代イスラエル人のジェノサイドの歴史なのですが、それは現在まで続いています。

それが、87%もの日本人が進んで屠殺されてしまったという現状ですね。

イルミナティは、僕らを恐れているんです。

欧州では、このような言葉があります。

「死んだ犬は蹴らない」

僕らも人に文句を言う時は、どうでもいい人間に対しては言わないと思います。

そこには、恐れや劣等感や妬み、嫉みが存在するんです。

大東亜戦争で散っていった英霊達は、「自分を犠牲にしても祖国や家族を守りたい」という高潔な精神の方々でした。

根底にあるものは「愛」です。

イルミナティが最も恐れ忌み嫌っていたものは、「愛」です。

モーセの十戒にある根底の精神も、突き詰めれば「愛」なのです。

全ての歴史は繋がっています。

地球刑務所を維持したかったイルミナティとエンリル、地球刑務所から人類を解放させたかったエンキとアライアンス。

勝利したのは、やはり「愛」でした。

宇宙で一番強い力とは、「愛情」だと言われています。

先日は律法を守っていなければ5次元世界へは行けないのではないかと書きましたが、法律に触れずに、他者を陥れなかった方々、普通に生活されてきた方々は、5次元世界へと行けるのではないでしょうか。

その根拠に、現行法も「律法」を元に作られています。

ハーバード大学が世界一の大学と呼ばれている理由の一つに、聖書研究があります。

人生は、魂の修行であると言われてます。

何の為に、魂の修行を行うのか。

それは、「5次元世界」に相応しい魂となる修行だったのではないでしょうか。

亡くなった方々は、5次元世界へと進む為に、亡くなる必要があったという事なんだろうと思います。

人生で起きる全ての事には意味があり、全ては必然であったという事なのだと思います。

まとめ


イランから重大発表はありませんでしたね。
煽ったみたいで、すみませんでした。

これまでに、イエスに対して疑問に思っていた事が、今回の聖句により解消されました。
全ては、僕らを5次元世界へと導くために行われた事だったのではないかと思います。

それでは、今回はここまで。
ありがとうございました。





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