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何気ない毎日を大切に

毎日を大切に生きよう。
おそらく、このセリフはこれまで何万回と使い古された言葉であると思います。
誰しも一度は耳にしたことがあるでしょう。
大昔から、何人もの偉人が似た内容のセリフを残してきました。
ちなみに、仏教を開いたお釈迦様もこんな遺言を残しています。

もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。(中村元訳『ブッダ最後の旅〜大パリニッバーナ経〜』岩波文庫,168頁)

つまり「私たちのいのちには限りがあるから、毎日の修行を大切にしなさい」(私訳)と仰っているのです。
毎日を大切に。
そんなことは分かってるよと、言いたくなってしまいますね。
でも、「分かる」と「できる」は全く別のものです。
分かっているけれど、忙しい毎日を過ごす中でつい忘れてしまう。
毎日を「当たり前」に過ごしてしまう。
これを書いている私自身がまさにそうです。笑
特に、毎日顔を合わせる家族との時間は「当たり前」に感じてしまいがちです。
明日も今日と同じように続くのだと、貴重で「有り難い」時間であることを忘れてしまいます。

最近、そのことを思い出させてくれる出来事がありました。
それは、ご法事の席で一緒になった女性のお話がきっかけです。
控え室でお話しする中で、その方の亡くされたお父様との最期の思い出を聞かせていただきました。
余命宣告を受けた父。
深い悲しみの中で、父とどう向き合えばいいのか分からなくなった時、ホスピス医からこんなアドバイスがあったそうです。
「すべての人間は教えを残して死んでゆきます。お父様との会話を教えだと思って大切にしてください」
この言葉をキッカケに、父との会話、一言一言がかけがえのないものになったと仰っていました。
先生との出会いのおかげで、人生観が変わった。
そんな風に感じてもらえるホスピスの先生が少し羨ましかったです。

死にゆく者の言葉。
明日には無いかもしれないその会話は、女性にとってまさに何ものにも代えがたい貴重な時間だったことでしょう。
でも、よくよく考えてみるとそれはホスピスの世界に限られたことではありません。
死亡率100%の私たち。
誰しもが「死にゆく者」であり、ともに過ごす日々はかけがえのない時間なのです。
「もろもろの事象は過ぎ去るものである。」
明日を保証された人間は一人もいません。
だからこそ、一見すると当たり前のように感じる毎日を大切に過ごすのです。
もちろん、周りにいるすべての人を大事にしなければいけない訳ではありません。
時間は限られています。
それでも、家族など身近な人との何気ない会話や食事の時間を、少しでも大切にしていきたいものです。

皆さんは今日が最期の一日だとしたら、身近な人に何を伝えますか?
私の場合は感謝かなと思いました。
できる限り、一日一回は「ありがとう」を伝えるよう心がけたいです。
いきなり言い始めたら不気味がるかもしれませんが。笑

※ちなみに写真は、その法事の席で撮影したもの。4年間の住職生活の中で最も可愛らしい献杯グラスです。どうやら超レアな囲碁界の女流棋士マグカップらしい。