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コーヒーって美味しいね

僕はコーヒーが好きだ。
社会人になってコーヒーをよく飲むようになったが、3年前にふと自分で淹れたほうが楽しそうだな。よし、まずは豆を買ってみよう。気づいたらハマっていた。
動き出してからは、行動が早いという悪い癖が出て、一ヶ月以内には不自由ない(初心者にしては過剰?)な道具が揃ってしまった。(普段はフットワーク激重おじさんなのに、、、)
コーヒーミルに、いろんな形のドリッパー。時間も計れる高性能なスケールに、温度調整ができるケトルまで。あなた、いつもはあんなにケチるくせにのにその自制心はどこへ行ってしまったの??
そこからは、コーヒーの淹れ方について、本やyoutubeで色々と調べて少しはコーヒーを淹れるのが上手くなってきたなと満足していた。

順調なコーヒーライフを送ってきたが、今日何を思ったのか、レシピを気にせずテキトーに淹れてみてある気づきがあった。
なんか、初めから本やyoutubeで下調べするの損してる、、?

なぜそう思ったか。適当に入れたら、あまり美味しくなくてすごく酸っぱかったからだ。これってレシピ通りにやってたら気づけないすごく重要な情報だ。
さらに気づいた。僕には初めから正解を探して、それに向かって動き出す癖がある。
これって、一見なんの問題もないようだけど、本来見当違いの失敗をすることで得られる経験を捨てていることになっているのでは?
このままこの癖が治らなければ、年をとった時に、それっぽい正しい答えは持っているけど、深みのないペラッペラのことしか言えないつまらない人間になってしまうのでは?これはとてもまずい。

タイトルとは全く関係ない内容になってしまったけど、正解の道具、考えで溢れている生活は、便利なようで実はすごく勿体無いのかもしれない。
誰か、「見当違いの失敗」を許してくれる楽しい世界を作ってください。
もしかしたら誰も道具を使いこなせていないのかもしれないね。


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